田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌グルメ紀行 5 日本料理 あきず

2015-03-11 21:36:37 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 日本料理の繊細さ、彩りの素晴らしさが引き立つ「あきず御膳 弥生」だったが、味の方も一つ一つの料理が個性を強調しすぎず、調和のとれた美味しさが印象に残った「あきず御膳」だった。 

          
          ※ 日本料理「あきず」が入る京王プラザホテル札幌の外観です。

 講演・講座のレポートが続いた拙ブログであるが、ここはお口直しとしてグルメ紀行をレポートすることにする。

 3月7日(土)、妻からランチを誘われ、京王プラザホテルの地下1階にある「ろばた・すし・北のめし あきず」で食事をすることになった。
 私たちはランチ時間が始まる11時30分過ぎに入店したのでスムーズに席が取れたが、後からのお客の中には入店できずに、店外に待機の列ができるほどの人気店のようだ。

          
          ※ 地下1階にある「あきず」のエントランスです。

 私がオーダーしたのは、この店の看板メニュー(?)である「あきず御前 弥生」(1,800
円)を、妻は「生寿司ランチ」(1,680円)をオーダーした。

 お客が混んでいたこともあり、やや時間をおいて出てきた「あきず御膳」はまずその彩りの美しいのが印象的だった。私もカメラに収めたが、光量不足もありあまり美しくは見えない。そこでHPの写真を拝借した。

               
               ※ HPから拝借した「あきず御膳 弥生」の写真です。

 さらに「さすが日本料理!」と思わせられたのがお造りの一つ一つに細やかな細工が施されていたことだった。こうした繊細さは日本料理独特ではないだろうか?(お造りだけの写真を撮るべきだった…)
 「あきず御膳」はそれほど高価な料理ではないが、高価のものになると私たちを驚かせるような技を見せてくれるのだと思われる。

 料理の内容は、次のような内容だった。
 ◇刺身四種盛り ◇豚角煮と大根の蕗味噌 ◇鮭の照り焼き 鰊一夜干し ◇茶碗蒸し しんじょう 桜人参 ◇菜の花と黄身そぼろ御飯 味噌汁 ◇本日の甘味(アイスクリーム) ◇コーヒー という内容である。

          
          ※ 私が撮った「あきず御膳」です。HPの写真との違いは全てが揃っていない時点のものだからです。

 肝心の味の方であるが、驚くような味付けなどではなく、それぞれが控えめの味付けの中で、全体がバランスよく揃えられているという感じである。それがまた日本料理の特徴なのだろう。全てを美味しくいただけたし、人気店であることも納得できた。

          
          ※ 妻が食した「生寿司ランチ」です。

 忘れていたが、この店の一つの特徴だろうか?「惣菜バー」というのがあり、各種惣菜を食前にいただけるシステムになっている。惣菜の中にはごぼうサラダ、ひじきの煮物、大根の煮物などがあり、「小腹が充たされるねぇ」と妻と囁き合ったものだった。

          
          ※ 私の盛り付けですからあまり美味しく見えませんが、美味しかった「惣菜」各種です。

【日本料理 あきず データー】
北海道札幌市中央区北5条西7丁目2-1 京王プラザホテル札幌 BF1
電  話  011-271-3264
営業時間  ランチ 11:30~15:00  ディナー 17:00~22:00      
定休日   無休
駐車場   有(京王プラザホテル内 有料(優待))
座 席   75席(ホール56席、寿司カウンター10席、焼きカウンター9席)
入店日   ‘15/03/07


気候変動が私たちに与える影響

2015-03-10 22:34:36 | 講演・講義・フォーラム等
 気候システムの温暖化は疑う余地のないものである、とIPCCに参画する科学者が断言した。そのことによって私たちの生活に与える影響とは?気象学等の専門家の議論に耳を傾けた。 

 3月2日(月)午後、環境省が主催する「気候変動の科学と私たちの未来 ~ IPCCと北海道民の対話 ~」が京王プラザホテルで開催され参加した。
 IPCCについては説明する要はないと思われるが、日本においては「気候変動における政府間パネル」と訳され、そこから数年おきに「評価報告書」が出されているが、地球温暖化に関する世界中の数千人の専門家の科学的知見を集約した報告書として知られているが、昨年末に第5次の報告書が出された。

          
          ※ 講演するEduardo Calvo Buendia(エドアルド・ブエンディア)IPCC第2作業部会副議長(ペルー)です。

 シンポジウムには、その報告書作成に関わった第2作業部会の副議長(ペルー)、第3作業部会の副議長(英国)、そして北大からIPCCに参加した山中教授の三名が講演した。
 ペルーのエドアルド・ブエンディア氏、英国のジム・スキー氏は共に英語での講演で、同時通訳が付いたのだが、日本語で話されても理系の問題については十分に理解できない私が、通訳を通しての話はほとんど理解できなかったというのが実情だった。
 そのような中で漠然と理解できたことは、地球上のCO2が増加し、地球上の気温は上昇し続けているという指摘だった。そしてこうした地球温暖化を阻止するには政策としての必用な施策を講じなければならない、ということを言われていたと解釈した。

          
          ※ 講演するJim Skea(ジム・スキー)IPCC第3作業部会副議長(英国)です。

 海外からの二人の話に対して、北大の山中教授の話はまだ私には理解できる内容だった。
 山中教授は「地球温暖化と北海道 ~長いお付き合いの始まり~ 」と題して話された。
 氏は北海道、特に札幌における各種観測データーを示しながら地球温暖化が進行していることを説いた。そして氏は、温暖化を止めるにはCO2の排出量を世界では半減、日本では8割減をすることが不可欠というショッキングな数字を挙げた。
 この数字は、日本の産業形態や私たちの生活を激変させるほどの対策が必要ということを言われたように私は受け止めた。
 山中氏はそうした数字を挙げる一方、北海道に限定した話として、北海道が人口減によって地方が消滅し、広大な自然保護区が誕生することによって持続可能な社会が創造できるかもしれない、という仮説を立てた。(どこまで現実的な話なのか私には判断はつかないが)

          
          ※ 講演する山中康裕 北海道大学大学院 地球環境科学研究院教授です。

 三つの講演の後、講演した三人と、バイオマス研究を主として研究している北大の石井一英准教授、環境省の専門官が加わってのパネルディスカッションが行われたが、こちらもなかなか興味深かった。
 その中から印象的な発言をピックアップしてみると…。
 ◇今のままのCO2の排出量を続けていると21世紀末には地球上の気温が3.7℃上昇する。
 ◇地球の気候を安定させる(気温上昇を抑える)ためには、CO2排出をほぼゼロにしなければならない。
 ◇カーボンゼロ(CO2排出ゼロ)の目標は現実的ではない。
 ◇気温上昇を2℃以内に抑えることが現実的だが、そのためには生活様式、行動様式を変える必要がある。等々…。

 IPCCの第4次報告書までは、地球温暖化についてその傾向は指摘しながらも、それを否定的に考える科学者に配慮してか、断言は避けてきたように私は記憶している。しかし、第5次報告書においては「地球温暖化は疑う余地がない」と科学者たちは断言したのである。
 問題はその指摘を世界の指導者たちがどう受け止め、世界的規模で対策をどのように講じていくかということのように私には聞こえてきた。
 コトがそうそう簡単なことではないことは、これまでのCOP(気候変動枠組条約締約国会議)の迷走ぶりをみると明らかである。
 取り返しのつかない地球の未来とならないために、世界の英知が結集し、世界が共同歩調を取る日が来ることを期待したい。


※ 理系に弱い私が聴き、理解したことですので、私の表現には誤解や思い込みの部分が多々あるであろうことをお断りしておきます。

今、留萌のマチが熱いようだ!

2015-03-09 21:57:47 | 講演・講義・フォーラム等
今、留萌のマチが熱く燃えているようだ!その核となっているのが「エフエムもえる」の存在だという。「エフエムもえる」を運営する佐藤氏からお話を伺った。 

          
          ※ 「エフエムもえる」が入るJR留萌駅の駅舎です。          

 2月25日(水)午後、かでる2・7において「学習成果実践講座 in 札幌」という講座があり、参加した。
 そもそも「学習成果」とは何の学習成果なのかも良く分からないまま参加した私であるが、その趣旨について特に説明はなかった。私が思うには、主催の北海道生涯学習協会が進める“まちづくり”についての学習会がこれまで行われていて、その学習会に参加した方たちが、その成果を発表する会と理解した。

 講座は、基調講演と二つの実践報告からなっていた。
 その基調講演が、株式会社「エフエムもえる」の代表取締役社長である佐藤太紀氏の「マチの聴こえる回覧板 エフエムもえる」と題する講演だった。

          
          ※ 講演をした佐藤太紀氏の本業は留萌市で建設会社を経営する若社長だそうです。

 エフエムもえるの最大の特徴は、「エフエムもえるメンバーズクラブ」の存在だという。
メンバーの数は今や900人を数えるということだが、このクラブが番組の運営を支えているという。つまり、会社の経営は株式会社が責任を持ち、番組の運営はメンバーズクラブが担うという両輪により成り立っている点に特徴があるという。

 人口23,000人余りの留萌市において、「エフエムもえる」に関わる人が900人もいるということは、いかに留萌市民にエフエムもえるが浸透しているかの一つの証しであろう。
 さらに、ゴールデンタイムの「エフエムもえるの」の聴取率が実に12パーセントだという。テレビが当たり前の今どきの時代にラジオでこれだけの数字が取れるのは驚きである。
 そこには数々の「エフエムもえる」独特の創意工夫が散りばめられていたが、それに触れると膨大になるのでここでは割愛する。

 ただ、「エフエムもえる」が「マチの聴こえる回覧板」をめざし、まちのみんなが参加するコミュニティFMから、市民の「共通言語」を生み出し、コミュニティを再生しようとしたコンセプトにその成功の秘訣があったように私には思えた。

 「エフエムもえる」の番組表を見てみると、通常朝の7時30分から22時まで、びっしりと番組が埋まっている。その中で、地域情報や天気・道路情報以外は全て「エフエムもえるメンバーズクラブ」の会員が番組を作り、自ら出演しているという。そこが驚異的な聴取率を獲得し、マチの多くの人たちに受け入れられている要因があるようだ。

 佐藤氏たちは、単なるFM放送を提供するだけではなく、FM放送を媒体として、地域情報の受発信メディアをめざし紙媒体の情報誌の発行やガイドブックの作成、あるいは留萌管内全体のまちづくりに積極的に関わったり、地域主体の商品開発までも視野に入れたりしながら、留萌管内全体の“まちおこし”を念頭に置いているようである。
 今、留萌のマチが熱いようだ!!

著名な二人の話を聴く 国井雅比古 & 伊奈かっぺい

2015-03-08 19:52:09 | 講演・講義・フォーラム等
 2月後半に、全国的にも著名と思われる二人のお話を伺う機会があった。一人は元NHKアナウンサーの国井雅比古氏、もう一人は青森県在住のタレント伊奈かっぺい氏である。二人から含蓄が含まれた言葉をもらった。 

 2月26日(木)午後、道新ホールにおいて「北海道ガーデンショー2015大雪」というイベントのカウントダウンシンポジウムなるものが開催された。その基調講演において元NHKアナウンサーの国井雅比古氏が「田舎町には宝がある。だから挑戦できる」と題して講演した。

               

 国井氏はNHKの「プロジェクトX」の司会者として名高いが、近年は「小さな旅」のレポーターとして全国を巡ってことから、地方の元気なマチを数多く見聞してきた経験を語った。例えばそれは葉っぱビジネスでお年寄りを元気にした徳島県上勝町であり、高級温泉街として再生した大分県湯布院町の取り組みと、地域の特徴を生かしマチを元気にした事例の紹介だった。
 そこで、国井氏は北海道の魅力として、清涼な空気、道北の荒涼さを挙げた。

 国井氏は“挑戦”することの意義を強調した。「やればできる。やらなければ何もできない。続ければ成功。途中で止めれば失敗」と…。
 当事者ではない気楽な意見、と冷めた見方もできるが、全国の事例を数多く見てきた人の意見である、と真摯に受け止めてみることも必要ではないだろうか?

 なお、北海道ガーデンショー2015大雪は、大雪山、上川町、旭川市などを中心に5月30日から10月4日まで開催されるそうである。


               

 そして2月28日(土)午後には、同じく道新ホールで「東北観光フォーラム in 北海道」において、タレントの伊奈かっぺい氏が「かっぺいが語る!みちのくの魅力」と題してトークショーを展開した。

 伊奈かっぺい氏は東北弁(青森弁)を操り、軽妙なトークで聴衆を沸かせるタレントとして知られている。この日も話の随所に笑いを織り交ぜ、ご婦人たちは彼のひと言ひと言に笑い転げていた。

 伊奈かっぺい氏はここのところ6年間にわたって東北6県を訪ね歩くTV番組を続けているという。そうした中から、東北観光に関わって三つの特徴があることに気付いたという。そのキーワードは①北前船、②貧乏、③アイヌ語だという。
 「北前船」は全国各地の物を東北に運び入れたという。何故、こんなところにこんなものがあるのか、というようなものを東北観光して見つけてほしいという。
 「貧乏」について、東北地方は貧乏であったがゆえに工夫が生れたという。工夫が生んだ美味しいものをぜひ味わってほしいという。
 「アイヌ語」である。実は東北の言葉の中にアイヌ語の影響を受けた言葉が数多く存在するという。アイヌ文化が東北地方にまで及んでいたということは、私にとっては初耳だったので興味深く聞こえた。

というように全国的に名の知られた方の言葉には、含蓄が含まれていて傾聴に値する言葉が少なくない。お二人からも大切な言葉をもらった思いである。


《ウォーキング覚書》
 3/03~3/06の5日間はかろうじてノルマをクリアできた5日間だった。それにはいろいろと言い訳もあるのだが…。

 ◇3/03 12,160歩 ◇3/04 10,760歩 ◇3/05 10,630 歩 ◇3/06 7,301歩 ◇3/07 13,094歩

 ◇5日間合計 53,945歩  3/03~3/07 一日平均 10,789歩

 この5日間はなんとか平均で一日一万歩は達成することができた。その苦しかった言い訳は、一つはウォーキングの目的が一万歩を達成するだけという単一目的になっていることがある。札幌珍景的発見の期待がない中では、一万歩達成だけが目的になっている。
 また、3/05、3/06は自宅から遠方で会議があり、車を使用せざるを得なく、帰宅してからのウォークとなった。特に3/06は帰宅が遅くなり7,000歩余を歩くのが精一杯だった。
 翌日それをカバーするのが大変だった。
 というように、最近はちょっと苦戦が続いている。

NHK公開録画 北の文芸館

2015-03-07 20:52:52 | イベント
 日本の北方、特に北海道に関わる文芸作品をNHKのアナウンサーが朗読するという公開録画に立ち会うことができた。さすがにその道のプロフェッショナルである。高名な音楽家の伴奏と共に至福の1時間を過ごした。 

 2月22日(日)午後、北翔大のサテライト施設「ポルト」(中央区南1西22)において、NHK札幌放送局が制作する「北の文芸館」という番組の公開録画が行われ、入場整理券を入手できたので立ち会うことができた。
 渡されたプログラムは次のようになっていた。

〔第一部〕~北の大地と人の心~  音楽 大平 まゆみ(ヴァイオリン)
     ◇中島 みゆき 「麦の唄」   朗読 飯島 徹郎
     ◇宮沢 賢治  「雨ニモマケズ」「氷訣の朝」「噴火湾(ノクターン)」
                                朗読 佐藤 龍文
     ◇佐藤 愛子  「うらら町字ウララ」より「ヨシのキツネ」
               朗読 市川 泰、小林 孝司、松岡 忠幸、杉嶋 亮作

〔第二部〕~北海道が生んだベストセラー作家をしのぶ~  音楽 宮下 祥子(ギター)
     ◇渡辺 淳一  「光と影」   朗読 小林 孝司
     ◇三浦 綾子  「続 氷点」  朗読 高橋 美鈴

 どの朗読も素晴らしかったが、私が特に印象に残ったのは、佐藤龍文アナの宮沢賢治だった。
 実は佐藤アナは岩手県出身だそうで、賢治のふるさと岩手弁はお手のもので、岩手弁による佐藤アナの朗読はいっそう賢治の世界に浸ることができたひと時だった。
 佐藤アナというと、現在NHKの「ほっとニュース北海道」を担当する、いわば札幌放送局の看板アナである。放送ではきれいな標準語を操る佐藤アナのなまりがたっぷり入った岩手弁を聴かされるという、その違和感もまた良かった。    

          
       
 また、高橋アナの落ち着き払ったしっとりした朗読も年の功が出す味だった。

          

 そして、二人の伴奏者である。札響のコンマスの大平まゆみさんは申すまでもなくつとに有名な奏者である。
 もう一人の宮下祥子さんもギターの世界ではかなり高名な方のようだ。二人の演奏が、アナウンサーたちの朗読を一層引き立てていた。

             

          

 こうした朗読の会などは私にとって初めてと言ってよい経験だった。その道のプロフェッショナルたちの朗読を聴くというのも得難い経験で、至福の思いで耳を傾けた1時間だった。

 なお、この様子は来る3月14日(土)、NHK総合テレビで午後3時05分~4時の時間帯で放送されるそうである。

超高齢社会の住まいと暮らし方

2015-03-06 21:37:16 | 講演・講義・フォーラム等
 世の中には凄い人、楽しい人がいるものだ。70代を迎えてもバリバリと活動している人。障害のある子を男手ひとつで育てている人。マイガーデンを地域に開放している人。人生には笑いが必要と、その道を究める人。…、さまざまな達人の話を聴いた。 

          
          ※ 「もう一肌脱ごう、人生の二幕目」と題して講演する上野正志氏です。

 八重山諸島の旅から帰り、旅を振り返っている間もさまざまなイベントや講演会に出かけていた。報告できなかったものが9件も数えている。全ての報告は無理かもしれないが、私自身の記録のためにボチボチと報告していくことにする。

 2月21日(土)午後、札幌住宅管理公社が主催する(なぜこのような公社が主催したのかという謎は最後まで解けなかったが…)「超高齢社会の住まいと暮らし方」というフォーラムが北海道建設会館(この会場もテーマとはミスマッチの感じがするが…)で行われ参加してきた。
 フォーラムは一人の基調講演と、三人の方の体験発表からなっていた。

 基調講演は「もう一肌脱ごう、人生の二幕目」と題して、さまざまな肩書をもつ(後から触れる)上野正志氏が務められた。
 上野氏はすでに70代半ばという感じの方だが、北海道テレビ放送常勤監査役を最後にリタイアされ、現在は「相田みつを美術館北海道友の会代表」、「健康生きがいづくりアドバイザー北海道顧問」などの肩書を持つ他、「民放クラブ」、「シネマ倶楽部」、「観光ボランティアガイド」、「男性料理クラブ・豊丁の会」、「食生活改善推進委員」、「札幌後見支援の会」、「札幌親子面会交流の会」、「中学・高校・大学のクラス会幹事役」と多彩な顔をもち、エネルギッシュに活躍されている方である。          

 生き方がエネルギッシュであるのと同様、話し方もエネルギッシュだった。
 氏の話は放送界出身者らしく、自らの考えというよりは、他の方々が唱えている高齢者のより良い生き方について紹介するものが多かった。
 氏は言う。人生の一幕目は時間のほとんどを家族と会社のために消費した。今、人生の二幕目を迎えて、今度は自分と社会のために使いませんか、という提言だった。

 氏は多くことについて紹介してくれたが、高齢者の生き方には「教育と教養」が必要だと力説した。
 「教育と教養」は人として誰もが必要なことなのだが、氏が言うには「キョウイクとキョウヨウ」だという。その心は「今日、行くところがある」、「今日、用事がある」ことが大切だという。言葉を替えて言うと「高齢者よ、家に籠らず、積極的に戸外へ出で、人と交わりなさい」ということと受け止めた。
 それより何より、上野氏のエネルギッシュな生き方に感銘を受け、大いなる刺激をいただいた気持だった。

          
          ※ 体験発表をした三人の方々です。

 三人の体験発表もそれぞれが参考になったが、その中でも「人生は二幕目が面白い!」と題した松田順治氏の“笑い”こそ楽しく生きる秘訣だとして、会場を笑いの渦に巻き込んだ発表は秀逸だった。
 私にとって人を笑わせることは最も苦手な分野の一つである。親父ギャグの一つでも飛ばせられるといいのだが、それすらできない。
 “笑い”が人と人との間を繋ぐ潤滑油として重要なことは理解しているのだが…。センスのない私はせめて他の人から暗い人と見られないように明るく生きることを心がけようか…。

          
          ※ 「人生は二幕目が面白い!」と題して会場を笑いの渦に巻き込んだ松田順治氏です。

札幌グルメ紀行 4 宗さんの飲茶

2015-03-05 21:28:30 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 お腹に優しいお粥は絶品でした! 本格香港料理を謳う「宗さんの飲茶」はもちろん手の込んだ点心も付いて、美味しくてリーズナブルなランチを堪能しました! 

 久方ぶりのグルメ紀行の投稿である。
 少し日が経ったが、2月24日(火)妻に誘われてIKEUCHI ZONE(旧アルタ)の8Fにある中華(香港料理)の「宗さんの飲茶」(これ店名です)へ初めて入った。
 妻の、ランチのお粥が絶品だという誘いに乗ったのだ。

          
          ※ KEUCHI ZONE 8Fにある「宗さんの飲茶」のエントランスです。

 店内はランチ時とあって女性を中心に賑わっていたが(男性のグループの客もいた)、中華料理店独特の派手な色彩のケバケバしさはなく、黒を基調とした落ち着いた雰囲気だった。

          
          ※ 店内は中華風ではあるが、黒を基調とした落ち着いた雰囲気です。

 
 中華料理店であるから、メニューにはたくさんの中華料理が載っていたが、私たちの目当てはランチメニューの「点心ランチ」(ドンク付き950円)だったから、二人とも迷いなくオーダーした。
 ほどなくして「点心ランチ」が運ばれてきた。
 ランチの内容はメニューに記されていたものによると、◇野菜と豚肉のお粥 ◇豚肉・白菜・ニラの蒸し餃子(2個) ◇エビ・高菜の蒸し餃子(2個) ◇春巻 ◇サラダ ◇ザーサイ ◇スープ ◇ドリンク(私は食後のコーヒー) という内容だった。

          
          ※ 写真左上から時計回りに、蒸し餃子、ザーサイ、サラダ、スープ、春巻、調味料、お粥の順です。

 何といってもメインはお粥である。日本食のお粥よりはややとろみがあって重いかんじがしたが、塩加減が絶妙で、さすが本場物といった感じだった。
 また、2種類の蒸し餃子も街中の中華店のそれとは一味も二味も違う上品さを感じさせるものだった。
 その他の添え物も含めて、味覚的にも量的にも満足、満足のランチだった。

 メニューによると、日・祝日のランチはグレードアップするようだが、街中に出かけたときにはちょっと寄って食してみる価値のある一店ではないかと思う。

【宗さんの飲茶 データー】
 住  所  北海道札幌市中央区南一条西2 IKEUCHI ZONE(旧札幌アルタ) 8F
 電  話  011-219-8678
 営業時間  11:00~22:00      
 定休日   無休
 駐車場   無(周辺に有料駐車場あり)
 座 席   テーブル席 90席
 入店日   ‘15/02/24

冬の石狩川河岸を遡る 6 後編

2015-03-04 16:08:07 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

たっぷ大橋 ~ 月形大橋 トレッキング月日 ’15/03/01

 
 河岸を往くスノーシュートレッキングではめったに人に出会うことはない。それがこの日、珍しく人に出会った。また、石狩川を遮断するような大きな造営物も目にした。順調なトレッキングだったが、結局この日、私は自分が設定したゴールに辿り着くことはできなかった…。 

          
    ※ 雪融けが進んでいることを象徴する写真である。陽射しで温められた木の枝が雪の中に沈んでいる図です。

 広々としたグライダー滑空場を過ぎると、再び雑木林の中に導かれた。
 木々の間を縫うように進むトレッキングは変わらない。石狩川の様子も変わらない。
 そこにまた樋門が待っていた。樋門に続く掘割は渡ることができないので、当然巻かなければならない。堤防に出ると、その樋門には「昭栄樋門」という表示がかかっていた。

          
          ※ 石狩川はこの日一日まったく表情が変わらず、穏やかな流れでした。

          
          ※ 雑木林の中に現れる自然にできた掘割の中にはこうして水面を見せるものもありました。

          
          ※ 「昭栄樋門」です。その向こうに石狩川があります。

 この時、時計は9時55分。樋門のところで腰かけて一休みしていると、遠くに人が見えた。初め春の農作業を前にして畑を見に来たのかな?と思っていたが、どうも様子が違う。
 だんだん近づいてくると、彼が猟銃を担いでいるのが分かった。

          
          ※ 月形町猟友会の方たちはキツネの駆除を行っていました。

 彼はどんどん近づいてきたので、話しかけた。「何を狙っているんですか?」と…。すると「キツネだ」という。「けっこう、獲れるのですか?」と伺うと「う~ん」という答えだったので、それほどではないらしい。
 話をしていると他にも同じようにオレンジ色のベストを着た人が3人ほど姿を現した。聞くと月形町猟友会の方々だという。毎日曜日に付近に棲むキツネの駆除をしているという。キツネのエキノコックス被害の調査に協力しているとのことだった。

 彼らと別れた直後だった。林間に一匹のキツネを発見した!
 キツネは私を見て、ジーッと動かない。バカチョンカメラのズームをいっぱいにひきシャッターを切った。帰宅して確かめたらなんとかキツネを捉えていたのは幸運だった。

          
          ※ ちょっとボケていまが、写真中央にいるのがキタキツネです。

 雑木林の中を往くと、遠くに石狩川を跨ぐように大きな造営物が見えてきた。
 「石狩川頭首工」というようだ。“頭首工”とは、河川などから,用水を取入れる農業水利施設の総称で、おもに取水堰と取入れ口(取水口) からできているという。私に見えていたのは、その取水堰の方だった。

          
          ※ 石狩川頭首工の取水堰の遠望です。

 その頭首工が目の前に近づいてきたときだった。石狩川の岸近くに漁獲のためのワナのようなものがたくさん置いてあるのが目に入った。いったい何のワナだろう?
 帰宅してから問い合わせたところ、どうやら石狩川に棲息しているヤツメウナギを捕獲するための〔網ドウ〕と呼ばれるもののようである。

          
          ※ 石狩川に棲息するヤツメウナギを捕獲する網ドウがたくさん吊るしてありました。

 そして頭首工の取水堰に到達した。その時、時間は11時20分だった。
 傍で見る取水堰は辺りを睥睨するほどの威圧感を感じさせた。石狩川を完全に遮断しているので、よく見てみるとしっかり魚道も造られていた。この頭首工は、新篠津村を貫く「篠津運河」と繋がっていて、新篠津の豊かな水田地帯に農業用水を供給しているようだ。

          
          ※ 近くで見る石狩川頭首工の取水堰です。手前には魚道が造られていました。

 頭首工を過ぎると、再び雑木林のトレッキングが続いた。
 左脚の付け根あたりに痛みが出てきたが、ゴールがそれほど遠くないこともあって心配はしなかった。
 そうしているうちに、またまた樋門が現れた。こうした樋門を迂回していくには2~300メートル迂回しなくてはならない。堤防まで戻って樋門名を確認すると「農事会樋門」と表示されていた。この時が11時42分だった。かなりゴールが近いことを感じた。

          
          ※ この日最後に見た「農事会樋門」です。流れは浅いようでしたが…。

 そこから15分ほど歩くと月形町内を流れ、石狩川に注ぐ「須部都川」とぶつかった。
 流れとしては小さな川だが、とても渡れるような川ではない。月形町の市街まで橋は架かっていない。川のすぐ向こうにはこの日のゴールに設定していた「月形大橋」が見えているのだが…。
 川を迂回するには2キロほど須部都川を遡らなければならなかった。時間はちょうど12時だったが、月形駅からのJRが13時48分発だったこともあって、「月形大橋」まで行くのを断念し、この日のゴールを須部都川に架かる「柳橋」のたもとに変更した。

          
          ※ 私の前進を拒まれた「須部都川」の流れです。とても渡ることはできません。

          
          ※ 須部都川が石狩川に注ぐ河口のところです。

          
          ※ 須部都川の直ぐ向こうにはゴール予定だった月形大橋が見えていたのですが…。

 須部都川河畔の林の中で昼食を摂り、「柳橋」のたもとでスノーシューを脱いだのは12時50分だった。
 スノーシューでの行動時間約7時間。その間の歩数29,550歩。距離にして約18.5キロの行程だった。

          
          ※ この日のゴールとした須部都川に架かる「柳橋」のたもとです。

 この日は、度々触れていたように石狩川は終始穏やかな表情をしていた一日だった。また、雪の状態はスノーシューには最高と云って良いくらい固く締まった雪だった。(それはスノーシューで雪の中を往く醍醐味に欠けるきらいもあったのだが…)
 私のアバウトな計画では、月形発16時29分のJRを利用するつもりだったが、思っていたより順調なスノーシュートレッキングだったようだ。
 自宅に帰り着いたのは午後3時半過ぎ、疲労困憊ということはなく、ちょっと大きな雪遊びを終えた充足感が私を充たしていた。

          
          ※ JR石狩月形駅です。この日は卒業式だったため月形高校の生徒がたくさん乗車しました。

 さあ、今シーズンも残り少ない。できれば途中飛ばしてしまうことになった〔川下集落~たっぷ大橋〕間を今シーズン中に完成させたいと思っている。スケジュールと天気予報を睨みながら実施の日を見つけたい。


冬の石狩川河岸を遡る 6 中編

2015-03-03 20:15:56 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

たっぷ大橋 ~ 月形大橋 トレッキング月日 ’15/03/01

 石狩川の河岸はまるで手つかずの自然が残されているように思えた。(もちろん道開発局が管理しているのだろうが…)無秩序に雑木が生え茂り、自然にできた掘割が縦横に走り…。私は雑木林の木々避けながら右に左にとジグザグに進み、掘割を慎重に渡り続けた。 

          
          ※ 6時20分過ぎの写真です。日の出を迎え、厚い雲の間からわずかに太陽が顔を覗かせています。

 朝6時18分に私はたっぷ大橋の袂をスタートした。
 ちょうど日の出を迎えたところで、雲の隙間から太陽がちょっとだけ顔を出して、辺りの雲を茜色に染めていた。
 石狩川はまったく凍っていなかった。すでに春の胎動が始まっているかのようだった。
 川面はまったく流れがないかのように静謐そのもので、その様はまるで鏡を並べ敷いたようにさえ見え、辺りの景色をきれいに映し出していた。

          
          ※ 昨日も掲載した写真です。石狩川に周りの風景が映し出されています。

 たっぷ大橋の袂は雑木もなく広々としていたが、少し進むとそこは今までの河岸と同様、雑木が生い繁り私の行くてを阻んだ。その木々を避けながら、まるでスキーの回転選手のように右に左に身体が通れる隙間を探しながら進んだ。
 雑木のうちはまだいい。適度に木々が間を作って生えているため、その隙間を探せばよい。ところがイタドリのような灌木となると、密生している。しかたなく私はそれらをなぎ倒しながら進んだ。

          
          ※ スタート直後には広い雪原が広がっていたのですが…。

          
          ※ たちまちこのような状態です。手前の灌木状のものはなぎ倒して進みまし。

          
          ※ このような雑木林が延々と続きましたが、うまく避けながらのトレッキングが続きました。

 石狩川を横断するように送電線が走っていた。地図上にも記されていて、スタートからおよそ2キロ進んだことが分かった。その時、時刻は7時07分。時速2キロのペースだ。

          
          ※ 送電線が石狩川を跨いでいました。地図上に記されているので目印になります。

 今回のコース〔たっぷ大橋 ~ 月形大橋〕間の右岸は途中に流れ込む川は地図上にはなく、ゴール近くになって「須部都川」という小さな流れが石狩川に流れ込んでいる。
 しかし、地図上には表れない自然にできた掘割の水路がいたるところに走っていた。雪がまだ柔らかい冬の初めや、雪解けが進むこれからの季節だと、あるいは通ることが難しいような個所もあったが、この日は雪面が固く締まった状態だったため、慎重にそうしたところを越えていった。

          
          ※ 雪で分かりにくいですが、石狩川の方を見ると凹んでいます。自然にできた掘割です。

          
          ※ 掘割の中にはこうして水面がぽっかりと顔を出しているところもありました。

 石狩川は依然として様子が変わらない。さざ波一つ立たない川面が続いていた。
 雑木林や灌木地帯、そして自然にできた掘割も続く中、スノーシュートレッキングは続いた。

          
          ※ 石狩川は相変わらず鏡のような水面を見せていました。

          
          ※ 何か小動物の巣穴のようです。キタキツネ?

          
          ※ 雪の上にはあちこちにこうした糞が散らばっていました。

 途中、小腹が空いたので食料を補給するために休んだ以外は歩き続けた。温かな紅茶がことのほか美味しかった…。
 送電線のところから1時間半が経過した頃、雪面が割れて水面が見える大きな掘割にぶつかった。堤防の方を見ると、樋門の装置(川上樋門?)が見えた。樋門とは、用水の取水や内水の排除を目的としたものだということだが、ここの場合は水田で使った用水を排除するための樋門ではないかと思われる。
 大きな掘割を回避するため堤防近くまで迂回した。

          
          ※ この日初めて現れた樋門です。これだけ雪が割れていると渡ることはできません。

 樋門のところを過ぎると、辺りにはなあ~んにもない大きな雪原が姿を現した。地図上では「グライダー滑空場」となっていた。後から取材したところ新篠津村の施設だという。

          
          ※ なぁ~んにもない、ただだだっ広いだけのグライダー滑空場です。

 グライダー滑空場の中間点付近に大きな構造物が見えた。グライダーの格納庫かな?と思いながら近づくと、それは水利施設のようだった。何であるのかまったく見当がつかなかったが、建物の壁には「水利使用標識」という表示が打ち付けられていた。
 長さおよそ2,000mの滑空場には何もなかった。あるいは堤防内の施設のため、利用期間以外は全ての構造物を撤去しなくてはならない規則になっているのだろうか?

          
          ※ グライダー滑空場の中間点付近にあった水利施設です。

 グライダー滑空場を歩き終えた地点あたりが、今回のコースの中間地点くらいだった。
 この時、9時30分過ぎだった。
 順調である。予想外に順調である。太陽は顔を出さないものの、風はなく、雪面が固く締まっている。
 私は気分よくスノーシュートレッキングを続けた。

 するとそれから間もなく、思わぬ人たちとの出会いがあった…。
 その話は明日の後編で。


《ウォーキング覚書》
 2/26~3/02の5日間は月を跨いでしまったが、この5日間も一日平均では一万歩をクリアすることができた。

 ◇2/26 18,585歩 ◇2/27 11,473歩 ◇2/28 7,710歩 ◇3/01 33,719歩 ◇3/02 10,354歩 

 ◇5日間合計 81,841歩  ◇2/26~3/02の一日平均 16,368歩

 この5日間には二つのイベントがあった。一つは2/26の藻岩山登山である。藻岩山だけだと12,000歩内外だが、この日は夜にも都心でシンポジウムがあったため歩数が多くなった。そして3/01は「石狩川河岸を遡る」シリーズの第6弾を実施したことで大幅に歩数が増えた。前日が少なかったのは、次の日に備えて体力の温存を図ろうとしたためである。

〔2月の記録〕
 ◇2月の28日間の総計 382,221歩 ◇2月一ヶ月の一日平均歩数 13,651歩

一 日の平均歩数が一月より伸びている。あまり無理することはないなぁ。無理せず長続きすることをねらわなくちゃ…。


冬の石狩川河岸を遡る 6 前編

2015-03-02 21:47:45 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

たっぷ大橋 ~ 月形大橋 トレッキング月日 ’15/03/01


 直線距離にしておよそ14キロ。私の右手に見える石狩川はどこまでも穏やかだった。川はまるで鏡を敷いたかのような水面が辺りの景色を映し出していた。風はなく、雪面は固く絶好のコンディションの中でスノーシュートレッキングを楽しんだ。 

          
          ※ この日のスタート地点となった「たっぷ大橋」の袂です。水面が鏡のようになっています。

 3月1日(日)今シーズン3度目の石狩川河岸を遡行するスノーシュートレッキングを行った。
 旅から帰った後、何度か実施しようと計画したのだが、天気が思わしくなかったり、私のコンディションがイマイチだったり、予定したスケジュールがあったりして、なかなか実施できないでいた。
 3月1日、天気予報もまあまあ、予定もない。「実施しよう!」と決心した。

 今回は、前回の続きで〔川下集落~たっぷ大橋〕までの区間が予定区間だったのだが、土日は新篠津村内を巡るコミニュティーバスが運休となる。これでは川下集落のスタート地点に立てない。
 そこで、以前からこのプロジェクト(?)の中で難しい関門の一つと考えていた次の区間となる〔たっぷ大橋~月形大橋〕間に白羽の矢を立てた。
 というのも、私の場合は一区間7~8キロ程度と無理をしない距離でスノーシューを楽しもうと考えていた。ところが、新篠津村から月形町までは適当な中継ポイントがなく、一気に約14キロを往かなくてはならず、どうしたものか?と考えていたのだ。

 そこで、今までは採用していなかった手段を取ることにした。それはスタート地点まで息子に車で送ってもらい、できるだけ早い時間にスタートすることによって14キロをなんとかクリアしようと考えたのだ。
 息子に問うたところ、特に予定もなかったのか二つ返事で快諾してくれた。
 ここで誤算が生じた。私の計画を知った妻が、これまでは私のプロジェクトに無関心だったのに、急に一緒に行くと言いだした。男二人で親子の会話をと思っていたところにとんだ邪魔が入ったと思いながらも、妻も多少は関心を持ってくれているのかと思うと、悪い気分ではなかった。

 当日、私は日の出時刻(この日の日の出時刻は午前6時12分)にはスタート地点に立とうと思い、自宅を4時30分に出て、息子を拾い、午前6時過ぎにスタート地点となる「たっぷ大橋」のたもとに着いた。
 スタート地点でスノーシューを装着し、さっそくスノーシュートレッキングを開始することにした。時間は6時18分。ちょうど雲間から朝日が顔を出すところだった。
 いつもは一人でスタートを切るところだが、この日は妻と息子に見送られながらのスタートである。なんだか面映ゆい気持ちと、楽しくも辛い雪上ウォークが待っていると思うと、複雑な気持ちのスタートだった。
 妻と息子は私を見送った後、そのまま帰宅した。私は月形からJRで帰宅する予定だった。

          
          ※ 息子に撮ってもらった初めてのスノーシュートレッキングの写真です。

 スタートを切ったとたん、「これはラッキー!」と思った。なぜなら雪面が固くなっていて、スノーシューがほとんど沈まないのだ。  「これは思っていたより楽なトレッキングになりそう」と思いながら、石狩川の川面に近づいた。
 石狩川はまるで流れのない湖のように静かに佇み、鏡のように辺りの景色を映し出していた。心地良いスタートだった。

          
          ※ 写真のようにスノーシューの跡が残るだけで、まったく沈まない固い雪でした。

 ところで、私が帰宅してから妻が言うには、帰りの車の中で「父はどうしてあのようなことをしているのか」と呟いたという。私の「冬の石狩川河岸を遡る」シリーズをご覧の方の中にもいぶかる人が少なからずいらっしゃるのではと思う。
 いずれそのことにも触れなければと思っていたので、レポートは明日以降に廻し、そのことについて少しふれておこうと思う。
 
 私の「冬の石狩川河岸を遡る」スノーシュートレッキングは、一言で言ってしまえば私自身の「冬の遊び」なのである。その冬の遊びにちょっとだけテーマを添えてみた、ということなのだ。
 冬の遊びといえば、代表的なのがスキーである。私は現職時代スキーに熱中した。
 全日本スキー連盟の指導員の資格も取得し(これが書きたかったぁ!?)、冬になるとスキー指導のボランティアに土日は忙殺された。北海道の主なスキー場は全て滑り、2度の海外スキーも体験し、スキーについては「やりきった感」があった。

 リタイアしてからスキーに行っても、ちっとも楽しく感じないのだ。そのようなときにスノーシューに出会った。
 スノーシューが「楽しい!」と思えたのは、雪の上ならばどこへでも自由に歩き回れることだった。スノーシューの醍醐味を最も味わえるのは冬山である。しかし、私には冬山は怖いイメージがあって手(足)が出せない。
 どうしたものか?と思っているとき浮かんだのが「そうだ!川岸を歩くのなら迷うことない」、「河原を歩いてスノーシューを楽しもう!」と思い立ったのだった。
 思い立ったら即実行。私は豊平川の河岸を遡行することにした。
 2011年2月6日、私は豊平川が石狩川に注ぐ、豊平川河口に立った。
 それから翌2012年と2年間にわたり、5日間に分けて私は定山渓温泉までの約50キロの行程を歩き終え、ある種の充足感に浸った。

 その時点で石狩川など私の範疇にはなかった。まったく規模が違う。
 2013年のシーズンは石狩浜を歩いたり、迷う心配のない市民の森を歩いたりしたが、なんとなく悶々としたものが残った。
 昨年、2014年シーズン、まったく考えてもいなかった石狩川だが、ダメもとで行けるところまでやってみようか?と思い立った。
 昨年3日間、危ない場面があったり、体力的に厳しいところがあったりしたが、3日間で河口から新石狩大橋まで、直線距離にして約20キロを踏破した。

 そして今年である。
 どこまで行けるか分からない。石狩川は果てしなく長く遠い。歳も老いてきた。
 いつまでできるか分からない。誰に強制されたわけではない。誰と約束を交わしたわけでもない。いつでも尻尾を巻いて退散する心づもりである。
 何といったって、私にとっては「冬の遊び」なのだから…。

 2015年シーズン、第3日目のレポートは明日以降に報告することにします。