田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

スポーツ!北海道フォーラム

2017-02-08 17:06:54 | 講演・講義・フォーラム等
 北海道新聞社は創業130年の今年を期して「スポーツ応援宣言」をしたという。その一環として北海道にゆかりのあるアスリートだった人たちを招いてのフォーラムが開催された。元アスリートたちの北海道への思いを聴いた。 

               
               ※ フォーラムそのものは写真撮影がNGだったが、フォーラム後冬季アジア大会マスコットの「エゾモン」
                とパネリストが写記念撮影をしていたので、その様子をパチリと。                 

 2月4日(土)午後、道新ホールにおいて「スポーツ!北海道フォーラム ~北の大地をスポーツの大地に~」と題するフォーラムがあった。

 最初の広瀬社長の挨拶は聴き応えがあった。広瀬氏は、昨年の日本ハムファイターズを応援する道民の姿を見て「スポーツは地域を一つにする大きな力がある」とした。さらには、スポーツは北海道が躍進するうえで背骨のような役割があるとして、スポーツの持つ可能性の大きさに言及したことには説得力がある、と感じた。

 プログラムは、基本トークとして「スポーツが持つ可能性」と題して、長野冬季五輪スビートスケート500m金メダリストの清水宏保さんと、シドニー五輪水泳メドレーリレー銅メダリストの田中雅美さんが、道新のスポーツ担当部長の質問に答えるかたちで進められた。

                    
                    ※ 清水宏保さん              

 しかし、いつも感ずることだが清水宏保さんは何を言いたいのかよく分からないことが多い。この日も彼の発言には、「北海道は運気が上がっている」とか、「札幌は雪を活かしきれていない」とか、「アスリートの知識を国民の財産にせよ」というような発言をしたのだが、今一つ言おうとしていることが伝わってこない。もっと簡潔・明瞭な発言ができないのだろうか。
 後のパネルディスカッションで、岡崎朋美さんから「自らの仕事のPRをしているように聞こえた」と揶揄していたが、私にもそう聴こえてきた。

                    
                    ※ 田中雅美さん

 対して田中氏雅美さんは、「スポーツは“する”側にも“見る”側にも目標・目的がある。それが生きがいになるのがスポーツの良さだ」とし、「スポーツ選手の財産は、最後まであきらめずに挑戦したり、苦しんだりしたからこそ、それを皆に伝えられることがある」とした。
 田中さんの方がはるかにテーマに沿った発言をしている。

 続いて前記した二人に、長野冬季五輪スケート500m銅メダリストの岡崎朋美さん、リレハンメル冬季五輪複合リレー金メダリストの阿部雅司さん、バンクーバー冬季五輪アイススレッジホッケーの銀メダリストの永瀬充さんの5人が登壇して「スポーツで北海道を元気に」と題してのパネルディスカッションが行われた。

                    
                    ※ 岡崎朋美さん

                    
                    ※ 阿部雅司さん

                    
                    ※ 永瀬充さん

 期待したパネルディスカッションだったが、コーディネーター役の北海道新聞社の佐々木氏の聞き出し方がいかにも不味いと思われた。質問が散漫的過ぎて、それぞれの発言がテーマに向かっていないのだ。私が懸命にとったメモにも印象的な言葉が一つもないという寂しい結果になってしまった。
 そんな中、私の記憶に残ったのは岡崎朋美さんの天然ぶりと、阿部氏が昨日と同じエピソードを話されたときに涙腺が緩んでしまったことくらいだった。
 皮肉にも、コーディネーターというのがいかに重要か、ということを認識させてくれたパネルディスカッションだった。

秩父宮記念スポーツ博物館北海道巡回展

2017-02-07 17:02:54 | イベント
 2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催を記念して、秩父宮記念スポーツ博物館が所蔵する記念の品々を展示する巡回展が北海道博物館で始まった。その開会式、開会記念のトークイベントに参加した。 

                 

 2月3日(金)から3月17日(金)までの43日間の日程で、表記巡回展が始まった。
 私は当初から「トークイベント」だけは参加するつもりでいたのだが、道民カレッジとの連携で一日参加の場合、博物館までの往復バスが提供されると知って、それに応募することにした。(朝9時から16時までの一日日程である)

 開会式は北海道博物館の記念ホールで開催された。
 博物館には講座を受講するなど何度も来たことがあったが「記念ホール」は初めてだった。正面壁に掲げられた北海道の歴史を表した(?)巨大なタペストリーが見事だった。

                    
                    ※ 北海道博物館の記念ホールの壁いっぱいに掲げられたタペストリーです。
 
 開会式で挨拶に立ったのは、独立行政法人日本スポーツ振興センター理事長の大東和美氏だった。大東はラガーマンでありながら、Jリーグのチェアマンを務めた人として名前を知っていた。

               
               ※ 巡回展の開会セレモニー。関係者によるテープカットの様子です。

 開会式の後、テープカット、そして特別内覧会として秩父宮スポーツ博物館の学芸員の説明による特別内覧会が行われた。展覧会は1964年開催の東京オリンピックの記念の品々や、その他のオリンピック記念品が展示されていた。
 特に私の目を惹いたのは、ベルリンオリンピックの棒高跳びにおいて西田修平と大江季雄が2・3位となったが、互いのメダルを切断して銀と銅を合わせた「友情のメダル」が展示されていた。その他にもオリンピックに関心のある向きにとっては見逃せない品々がたくさん展示されている展覧会である。

※ 以下は、巡回展に展示された記念品の一部です。

               
               <※ 1964東京五輪で実際に使用された表彰台だそうです。

               
               ※ 西田、堀江両選手の獲得したメダルを合わせた「友情のメダル」です。残念ですが写真ではイマイチ不鮮明です。

               
               ※ 1964東京五輪のポスター各種です。懐かしいですね。

               
               ※ ベルリン五輪で「ベルリンの奇跡」と称された日本サッカーチームのユニフォームです。サムライブルーの原点ですね。

                    
               ※ お茶目な(?)大東理事長は表彰台に上がってニッコリ。今はサッカー界には関係していないとのこと。

 続いて行われたトークイベントは、リレハンメル冬季五輪の複合団体で金メダルに輝いた阿部雅司さんと、バルセロナ、アトランタなど5回のパラリンピックの水泳競技に出場し、金を含む21個のメダルを獲得したという河合純一さんが登壇し、トリノ冬季五輪のエアリアルに出場した逸見佳代さんが二人に質問する形で「金メダリストが語る オリンピック・パラリンピック ~過去そして未来へ~」と題するトークイベントが行われた。

               
               ※ 光の関係でほとんど見えませんが、トークイベントに登壇した二人です。     

 二人の話には傾聴に値するお話がいくつもあった。
 その中から特に印象の残った話を一つずつ記すことにする。
 阿部さんはリレハンメル五輪のときのエピソードを語った。阿部さんはその前のアルベールビル五輪でチームの年長で、主将であったのに団体選手から外されるという屈辱を味わった。しかし阿部さんは腐ることなくサポート役に徹したそうだ。次回のリレハンメルにおいて、団体金メダルを獲得した時、チームの同僚だった荻原・河野の両選手が阿部選手を肩車して表彰台に上がったという。阿部選手は両選手の計らいに感動し、仲間の大切さを痛感したという。とても感動的な話だった。

               
               ※ 阿部雅司さんは大切な金メダルを惜しげもなく、会場の人たちに触らせてくれました。

 河合さんは、2020年の東京は二度目のパラリンピックを開催するのは東京が初めてであることを強調した。その意義を高める意味からも、障がい者に対してハード面についても、ソフト面についてバリアーを取り除く絶好の機会であると強調された。そういう意味でのレガシーを作ることが東京パラリンピックの開催の意義であるとした。

               
               ※ 会場からお話した女性は、1964東京五輪にフェンシング代表で出場された方ということです。(氏名不詳)

 トークイベントの後、昼食をはさんで、今度は博物館の常設展示を博物館学芸員の解説を聴きながらの観賞だった。面白い裏話も聴けた解説ツアーだった。

               
               ※ 学芸員の説明を受けながら常設展を観賞する道民カレッジ連携講座の受講者たちです。

 というような一日日程で、帰宅した時には16時半を回っていた。ふーっ疲れました。

冬の石狩川河岸を遡る 残りの戦略

2017-02-06 16:48:56 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

 「冬の石狩川河岸を遡る」プロジェクトの当面の最終目標である旭橋(石狩川と忠別川・美瑛川との合流点の少し上流)までをどう攻めるか?大いに悩んだが、このほどようやくその戦略(少し大げさかなぁ…)を固めた。

               

 前回の到達点である「神納橋」から石狩川と忠別川・美瑛川との合流点までは、概算でおよそ24キロと目測した。この区間を2日間で攻めたいと考えた。

 その際、最も頭を悩ませたのが、右岸を往くか、左岸を往くか、という問題だった。
 これまで私は一日(№16の江竜橋⇒石狩川第一橋梁間)を除いてすべて右岸を歩いてきたので、残りの区間も右岸を歩くつもりだった。
 ところが右岸を往くには、二つの問題があった。
 一つは、スタート地点の「神納橋」から右岸を歩くと、まったく集落などがなく約15キロ先にようやく「伊納」という駅があるのだ。雪道の15キロは相当にタフな距離である。
 もう一つ問題があった。右岸のほとんどは石狩川沿いに造成された旭川市のサイクリングロードになっている。サイクリングロードなら、スノーシュートレッキングには最適な環境である。
 ところが、急峻な崖の途中に造成されたコースは、数か所にわたって崖が崩壊しているという情報が旭川市からもたらされた。崩壊しているところを回避して進むことも可能なのではと思うが、もし回避することができないところに遭遇したら、引き返すだけの時間的な余裕が生まれない。右岸はあまりにもリスクが大きすぎる。
 結局、私は涙を呑んで左岸を往くことを選択した。

     
     ※ 一日目の行程の地形図です。左側の赤丸の「神納橋」から、右側の二つの赤丸「春志内」、「観魚橋」の二つのバス停の位置です。どちらかからバスをゲットする予定です。

 「神納橋」をスタートすると左岸は国道が石狩川と並行するように走っていて、一部は国道上を往かねばならないこともあるかもしれない。
 ただ、左岸の場合は国道と並行していることで、一日目をどこで中断しても路線バスを拾うことができるという利点がある。ちょうど12キロくらいの地点に「観魚橋」というバス停があるので、第一日目の目標を「観魚橋」とすることにした。
 そしてこの日は、近くに適当な宿がないので、旭川市内までバスで行き市内のビジネスホテルを予約した。

     
     ※ 二日目の行程の地形図です。旭川市内に付けた赤丸の「旭橋」を目ざす計画です。

 翌日、再び路線バスで「観魚橋」まで戻り、そこから二日目をスタートし、ゴールの「旭橋」を目指すことにする。
 ただし、二日目はできれば右岸を歩きたいと思っている。というのも「観魚橋」から少し行ったところに石狩川を跨ぐ「伊納大橋」がある。その橋を渡って、本来(?)の右岸を歩いて旭川(旭橋)を目ざしたいと思っているのだ。最終的には現地で判断したい。
 
 そして無事ゴールの後は、旭川バスターミナルまで移動して、都市間バスで帰札するというスケジュールである。
 
 しかし、こうして未知のコースをどのように攻めようか?とあれこれと考えている時ほど心楽しい時はない。
 戦略(計画)を立てるにあたって、最優先するのは当然であるが「安全第一」ということである。
 今回の左岸に決定したのは、そのことを考えた結果であった。

 次に考えるのは、コストパフォーマンスである。こうしたいわば道楽はできるだけコストをかけないで楽しみたいと思っている。
 今回、距離も長いので一日目のスタートを早く切るために前日に深川に一泊することも考えた。
 しかし、12月頃と比べて日没も遅くなっていることから、当日札幌発一番列車の特急を使えば日没前にゴールできると判断した。
 ここの選択は、都市間バスを使用すると特急の半額以下で深川まで行くことができる。しかし、残念ながら深川行きの都市間バスは札幌発が遅いので、ここはJRの特急を選択せざるを得なかった。

 最後は、二番目とも共通するが、なるだけ効率良く、ということも考慮しながら戦略を立てるのが楽しい作業である。
 どの列車を選択するか? 現地のバスの時刻表はどうなっているか? 等々…、最も効率良く目的が達成できるように予定を組むのはとても楽しい作業だった。


 天気予報もにらみながら、来週早々にも実施したいと計画中である。


 


札幌グルメ紀行 32 東京ドームホテル 札幌 レストランパティオ

2017-02-05 16:34:39 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 特に理由はないのだが、無性にパスタを食したくなった。妻に提案すると、東京ドームホテルのイタリアン「パティオ」を推奨された。オーダーした「シーフードの鉄板ナポリタン」は、ほど良く酸味が効いた美味しいパスタだった。 

 妻にランチを提案すると、かなりの確率でホテルレストランなどを推奨される。今回もその例にもれなかった。「味に間違いがない」というのが彼女の理由ではあるが、ある意味田舎人から抜け出ていないということにもなる。
 というわけで、今回は前回の中華の「緑花」に続いて東京ドームホテル札幌に入るイタリアンの「パティオ」でパスタを食することになった。

               

 店の入口には男性スタッフが待機していて、席へ案内してくれる。若干入りづらい印象も与えるが、店のクォリティを維持するという考え方だろうか?
 そう考えると、店のスタッフの立ち居振る舞いにも控えめでありながら、適度なサービスは怠らず、という心地良い対応が印象的だった。

               

 私たちがオーダーしたのは、私が「シーフード鉄板ナポリタン」(1,380円)を、妻は「特製ハンバーグステーキ(温泉玉子付き)」(1,300円)をそれぞれオーダーした。
 私のパスタにはフォカッチャ、サラダ、コーヒーが、妻のハンバーグにはライス、サラダ、コーヒーがそれぞれ付いていた。

               
               ※ 私がオーダーした「シーフード鉄板ナポリタン」です。

               
               ※ 妻がオーダーした「特製ハンバーグステーキ(温泉玉子付き)」です。

 私のシーフードであるが、イカ、エビ、ホタテ、ムール貝、アサリ、それに何故かウィンナーソーセージがトッピングされていた。
 レストランでナポリタンを食した記憶はなかったが、洋食屋などで食するナポリタンとは一味違っていて、酸味が抑えられた上品な味に仕上がっていた。

               
               ※ 食前に出されたフォカッチャと野菜サラダです。

               
               ※ こちらは食後のコーヒーです。

 妻のハンバーグの方も美味しかったようである。
 
【レストランパティオ データー】
〒060-0042 北海道札幌市中央区大通西8 東京ドームホテル 札幌2F 
電  話  011-261-6644
営業時間  モーニング  07:00~10:00
        ラ ン チ  11:30~15:00
        ディナー   17:00~21:00
定休日   無
駐車場   有(ホテル駐車場)
座  席  86席 (テーブル席)
入店日  ‘17/1/31


100人歌声サロン

2017-02-04 17:08:51 | その他

 歌うのが嫌いではない。というよりも私は歌うのが好きなんだ!ということを再認識させられた「100人歌声サロン」だった。懐かしい唄を中心にお腹の底から思い切り声を出して歌った20曲。私は満ち足りた思いで会場を後にしたのだった…。 

 少し古い話になるが、1月14日(土)、BSジャパンで「あの年この歌スペシャル 今でも聴きたい!60~70年代フォーク&ニューミュージック ベスト30」という番組が放映された。(番組は ‘16/7/9放送の再放送だったようだが)
 その番組を録画し、妻も寝入った深夜に、私はその当時の思い出に浸りながら番組を楽しんだ。

 その時のベスト30を長くなるが、全て紹介してみることにする。
 ◇第 1位  なごり雪/イルカ (1975)
 ◇第 2位  時代/中島みゆき (1975)
 ◇第 3位  神田川/かぐや姫 (1973)
 ◇第 4位  バラが咲いた/マイク真木 (1966)
 ◇第 5位  翼をください/赤い鳥 (1971)
               

 ◇第 6位  贈る言葉/海援隊 (1979)
 ◇第 7位  木綿のハンカチーフ (1975)
 ◇第 8位  酒と泪と男と女/河島英五 (1976)
 ◇第 9位  異邦人/久保田早紀 (1979)
 ◇第10位  22才の別れ/風 (1975)
 ◇第11位  帰ってきたヨッパライ/ザ・フォーク・クルセーダース (1967)
 ◇第12位  学生街の喫茶店/GARO (1972)
 ◇第13位  いとしのエリー/サザンオールスターズ (1979)
 ◇第14位  この広い野原いっぱい/森山良子 (1967)
 ◇第15位  青春時代/森田公一とトップギャラン (1976)
 ◇第16位  卒業写真/ハイ・ファイ・セット (1975)
 ◇第17位  若者たち/ザ・ブロードサイド・フォー (1966)
                  

 ◇第18位  「いちご白書」をもう一度/バンバン (1975)
 ◇第19位  ガンダーラ/ゴダイゴ (1978)
 ◇第20位  旅の宿/吉田拓郎 (1972)
 ◇第21位  あの素晴らしい愛をもう一度/加藤和彦と北山修 (1971)
 ◇第22位  五番街のマリーへ/ペドロ&カブリシャス (1973)
 ◇第23位  あの日にかえりたい/荒井由美 (1975)
 ◇第24位  心の旅/チューリップ (1973)
 ◇第25位  大都会/クリスタルキング (1979)
 ◇第26位  白いブランコ/ビリー・バンバン (1969)
 ◇第27位  青葉城恋歌/さとう宗幸 (1978)
 ◇第28位  さよなら/オフコース (1979)
               

 ◇第29位  悲しくてやりきれない/ザ・フォーク・クルセーダース (1968)
 ◇第30位  関白宣言/さだまさし (1979)

 これらの歌を聴きながら、当時の自分を懐かしみ「あ~あ、これらの歌を思いっきり歌ってみたいなぁ…」という思いを抱いたのだった。

 そんな折、新聞に「懐かしい唄を歌う100人歌声サロンを開催するので参加しませんか?」という告知が載った。自宅からはかなり遠い「苗穂・本町地区センター」での開催ということだったが、興味が勝って参加を決めた。

 1月29日(日)午後、地下鉄、バスを乗り継いで、会場の苗穂・本町地区センターに向かった。

               
               ※ 会場の「苗穂・本町地区センター」の外観です。

 会場へ行って初めて分かったのだが、苗穂・本町地区センターではアコーディオン奏者の石澤佳子さんの指導のもとに毎週「歌声サロン」が開催されていて、今回はその特別バージョンとして広く市民に呼び掛けての開催だということだった。
 参加費は指導料、歌集代、飲み物、茶菓子代を含めて800円だった。

 参加者はねらい通りの数には達しなかったようだが、高齢者を中心に60名前後が集まっていた。男女比は2対1くらいで、やはり女性が多かった。(この年代の女性は何ごとにも積極的?)

               
               ※ 定例会の会場とは違い、この日はセンターの体育室が会場になっていました。

 開会の時間となり、アコーディオン奏者の石澤佳子さんと、伴奏のギター奏者がミニステージに登場した。石澤さんの作成した歌集に従い、直ぐに歌唱が始まった。みなさん歌い慣れているとみえ、最初からアコーディオンの伴奏に合わせて大きな声で歌い出した。私も負けずに続いた。

               
               ※ 歌をリードし、伴奏してくれた石澤佳子さんとギターの伴奏者です。

 この日歌った歌は、いずれもが良く知られた曲で、私もすべてを歌うことができた。その20曲とは、①あざみの歌、②月の砂漠、③浜辺の歌、④手のひらを太陽に、⑤遠くへ行きたい、⑥白い花の咲く頃、⑦星影のワルツ、⑧川の流れのように、⑨ドレミの歌、⑩雪の降る街を、⑪早春賦、⑫みかんの花咲く丘、⑬ここに幸あり、⑭学生時代、⑮高校三年生、⑯四季の歌、⑰青い山脈、⑱白いブランコ、⑲上を向いて歩こう、⑳故郷、の20曲だった。
 今回の選曲は、毎週行われている「歌声サロン」の参加者のアンケートをもとに、ベスト20を選曲したと石澤さんからお話があったが、私にはやや古風かな?という思いはするものの、好ましい選曲に思えた。

 石澤さんのリードぶりは、余計な講釈などあまりなく、ともかく次から次へと演奏し、みんなを引っ張っていった。適度な冗談やエピソードの紹介も過不足なく心地良い。90分間の歌声サロンの中では、途中にイントロクイズを入れたり、コーヒーブレイクを入れたりと、参加者に対する配慮も感じられた。

 90分間のほとんどを歌い続けるということは、体力もかなり要するものである。サロンが終わった時、私は心地良い疲労感に満ち足りた思いだった。
 私は改めて歌を歌うことが好きなんだ!と再認識した思いだった。

               

 私の周りでは流行り歌を歌うなんて…、という否定的な空気を感ずることもある。そのことが今まで私に二の足を踏ませていたことも事実である。
 しかし、歌い終えた後の爽快感は何にも替え難く、ストレス解消の有効な手段であることを確信した。
 石澤さんが主宰する「歌声サロン」が市内各所で開催されていることを知った。少し通ってみようかな?と思っている。

 60~70年代のフォークやニューミュージックを歌っているところもないかなぁ~。


めだかの学校流 百人一首

2017-02-03 18:30:13 | 「めだかの学校」関連

 座位でのカルタ取りは高齢者には辛い。そこで考えられたのが立位でのカルタ(百人一首)だった。久しぶりの読み手、久しぶりの取り手、子どものころに夢中になった百人一首に興じ、懐かしさに浸った一日だった。 

 1月30日(月)午後、「めだかの学校」にとって年に一度の百人一首「下の句」カルタ会が行われた。
 「めだかの学校」が百人一首を年間事業に取り入れ始めて5年目だそうだが、私が参加した3年前からは立位式のカルタ(百人一首)会になっていた。

 立位式とは、長机を4脚合わせて、その上を梱包用のシートで覆って百人一首の札を並べる方式を取ることによって、取り手は立ったままゲームを楽しめる、という方法である。
 もう一つ「めだかの学校」独特の方式は、4人1チーム方式を取っていることだ。一般的に北海道の「下の句」カルタは3人1チームなのだが、それを4人で1チームを構成することにしている。これは百人一首にあまり親しみのない人に対して参加しやすい方式として取り入れられたようだ。

               
               ※ 「めだかの学校流」の会場制作法である。まず長机4脚をガムテープで固定する。

               
               ※ その上を荷造りの梱包用シートで覆い、最後に黒テープで枠を作る。

 今回の参加者は28名だったが、1チーム4名なので、4チームを作ることができた。試合としては、チーム分けのための予備戦、そして1回戦、さらに決勝戦、3・4位決定戦を同時に行うことで計3回の戦いが行われた。

 競技が始まる前に一つのエピソードが紹介された。
 参加者の中に毛筆を趣味とされている方がいて、自らの手によって百枚の取り札を書き上げて完成したという「板カルタ」が披露された。それは既成の「板カルタ」と見紛うばかりの完成度の高いものだった。(板カルタも「下の句」カルタの特徴である)

                     
                     ※ お名前は失念したが、自らの筆で百人一首を書き上げたご婦人です。

               
               ※ その方の書いた百人一首です。本物と何ら遜色がありません。
 
 さて、競技の方である。
 私は1回戦の読み手、3・4位決定戦の際の取り手として参加した。
 面白いことがあった。私と共に読み手を務めた方は道南出身の方である。対して私は道北出身である。二人の読み方のイントネーションが明らかに違うのだ。
 これは下の句カルタが会津藩によって始まったと言われていることから、明治期になって道南の瀬棚郡に会津藩が移住したことにより北海道内伝わったと思われる。
 その道南から、徐々に道北に伝わるまでに読み方のイントネーションにも変化が生じたのではないかと思われる。

               
               ※ 試合開始前、それぞれが木札を並べ終えたところです。
 
               
               ※ いよいよ試合開始です。読み手が詠う下の句の文句を集中して耳を傾けています。
               
 取り手の方として参加させていただいた方は、うん十年ぶりに札を取る勘は、鈍りに鈍っており、まったく思うようには取れなかった。
 しかし、読み手が読み上げるごとに神経を研ぎ澄ます行為を100回(百人一首だから)繰り返す行為は、とてつもない集中力を要する。私は1度参加しただけでクタクタに疲れていた。
 この「めだかの学校流 百人一首」が道民カレッジ連携講座の「健康・スポーツコース」の単位が与えられる所以である。


最新機器を使ったリハビリテーション

2017-02-02 16:05:25 | 講演・講義・フォーラム等
 リハビリの世界も進歩が著しいようだ。HONDAの歩行アシスト、さらにはHANDS療法についての実際を見聞した。 

                    

 1月28日(土)午後、医療法人 渓人会 札幌西円山病院がかでる2・7を会場に主催する「医療公開講座」の第22回講座に参加した。(私はこの講座に参加するのは初めてだった)
 今回のテーマは「最新リハビリ事情~最新機器を使ったリハビリの紹介~」というものだった。講座は、西円山病院の橋本茂樹リハビリセンター長による講義と、作業療法士による最新機器を実際に使用しての実演からなっていた。

               
               ※ 講義をする橋本茂樹リハビリセンター長です。 

 橋本氏のお話で印象的な言葉が「大人の脳は可塑性を持っている」という言葉だった。橋本氏は専門的見地から説明されたが、私は氏の話を次のように理解した。
 脳梗塞などで体の一部が動かなくなったとしても、ロボットなどの助けによってその部位を絶えず動かすことによって脳が刺激され、やがては脳がその部位が動くように命令することで、機能の回復が図られることがある、ということだ。
 そのための各種ロボットなどの開発が急激な進歩を遂げているということだった。

 そして作業療法士による実演に移った。
 最初は、「HONDAの歩行アシスト」である。このアシストは、歩行にかかわる中枢神経系の神経回路の再組織化を助けるという。つまり、患者の歩行状態の欠陥を機器で計測して、不足分を歩行アシストに入力することによって、歩行アシストが歩行状態の欠陥を是正する助けをする。
 その歩行アシストを連続使用することによって中枢神経が正常な歩行をインプットし、やがて中枢神経は歩行アシストなしでも正常な歩行をアウトプットするようになる、という実演を見せてくれた。

               
               ※ HONDA製の歩行アシストです。機器を腰と両脚に装着して歩行をアシストします。

 さらに、HANDS療法を紹介された。こちらは、手足がマヒしてしまい中枢神経からの指令を筋肉にうまく伝えられなかったり、指令が弱かったりした場合に使用する機器である。
 この場合は、電気の力を借りて筋肉により強い指令を伝えることにより、筋肉の収縮を促す仕組みである。
電気刺激により、失ってしまったり、弱まってしまったりした筋肉の動きを蘇らす、というのはなんとなく分かる気もする。

               
               ※ HANDS療法の機器です。左端のバッテリーとそこから伸びる電極を腕と指令を受ける筋肉に付けて電流を流す仕組み(?)です。               

 今回の講座では、以上二つの機器を紹介していただいたが、その他にもさまざまな分野でリハビリ方法が進歩しているだろうことを伺わせてくれた。
 一時は、脳梗塞などで失った機能の回復は難しいとされていたが、これからの時代は一度失った機能の回復が期待できるケースもある、ということを教えていただいた。

近美のコンサート「音楽のパレット」

2017-02-01 16:19:03 | ステージ & エンターテイメント
 若者ゆえだろうか?素人には選曲が難しすぎたきらいがあったように思えた。もっとも私は「若者なのだから難曲に挑戦することは理解できる」とアンケートには記したのだが…。


               
 
 1月28日(土)午前、道立近代美術館と北海道教育大岩見沢校が共催する「音楽のパレット」と題するコンサートが行われ、鑑賞する機会を得た。
 コンサートは、北海道教育大岩見沢校の音楽コースのフルート、ピアノ、オーボエの奏者(いずれも4年生)が演奏した。さすがに4年生である。その立ち居振る舞いも堂々としていて、いつでもプロの奏者としてデビューできる、といった雰囲気を醸し出していた。

               

 プログラムは次のようになっていた。
 ◇フルート・オーボエ・ピアノのための3重奏曲より 第2楽章/ジャン=ミシェル・ダマーズ作曲
    〔フルート・オーボエ・ピアノによるアンサンブル〕

               

 ◇24の性格的小品 作品36より 第一番 前奏曲、第3番 夜想曲、第4番 小さなバラード/アントン・アレンスキー作曲
    〔ピアノソロ/小板橋 沙里〕

               

 ◇オーボエ・ソナタFP185/フランシス・プーランク作曲
    〔オーボエソロ/渡邊 萌愛〕

                    

 ◇フルートソナタより 第4楽章/セザール・フランク作曲
    〔フルートエソロ/鷲森 由里〕

                    

 ◇フルート・オーボエ・ピアノのための3重奏曲/マデリーン・ドリング作曲
    〔フルート・オーボエ・ピアノによるアンサンブル〕

               

 これらの選曲が難曲であるかどうか、素人の私には判断できないのだが、4年間の研鑽の成果を問う、という彼女らの意気込みのようなものが感じられる選曲だったように感じられた。
 もし彼女らがプロの奏者だったとしたら、聴衆へのサービスとして誰もが聴き慣れたような曲もその中に含めるのではないだろうか?
 そうした曲が皆無だったことにも、彼女たちがこのコンサートに対して4年間の総決算の意味を込めていたように感じられた。
 それだけ私には難しい曲の数々だった、というのが正直な感想である。