田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

アイヌの子守歌・諸民族の子守歌

2018-06-20 21:38:11 | 講演・講義・フォーラム等

 アイヌをはじめとして、諸民族に伝わる子守歌には共通するところが多々あると講師は言う。アイヌ、沖縄、チュクチ、コリヤーク、サウ族、ジョージア、セネガル、ナイジェリア、カメルーンのピグミー、etc. etc.…。

 

 6月17日(日)午後、北海道博物館ミュージアムカレッジにおいて、表記講座「アイヌの子守歌・諸民族の子守歌」が開講され参加した。

 講師は、北海道博物館のアイヌ民族文化研究センターのアイヌ文化研究グループに所属する甲地理恵氏が務めた。

 

 甲地氏は言う。「子守歌とは、子守行動であり、音楽行動でもある」と…。そして、「子守歌とは、寝かせ歌であり、遊ばせ歌でもある」と言う。

 そうした目的をもった子守歌のメロディは、「ゆっくりめ」であり、「拍節感(はくせつかん)が緩く」、「音域は広くなく」、「柔らかく、静かな感じ」であると言う。さらには「技術的にさほど高度さを要しない」し、「短めのメロディ」であり、「繰り返し(反復)が多い」とも言う。

 ここまでについては、私も祖母の子守歌で育った体験もあり、納得することばかりである。

 

 さらに甲地氏は、子守歌には「N」音、「H」音、「R」音などの繰り返しが多く、それは催眠効果があるのではないか、と甲地氏は推察する。

 そして、子守歌には歌以外の状況の効果として、子どもに密着して聞かせることによる安心感・リラックスの効果がある。また、一定のリズムで軽く叩く、そっと揺らすことによる、繰り返しによる催眠効果、静寂の中で歌うことで入眠を妨げないという効果もあるのが子守歌であると甲地氏は指摘した。

 

 さて、アイヌの子守歌であるが、地方によってその呼び名は様々だそうだ。また、メロディも地域によって、あるいは個人によっても様々なことが多いそうだ。

 アイヌ民族には20世紀初頭まで、アイヌ独特の「背負い紐」、「ゆりかご」があったそうだ。

          

          ※ アイヌ民族に伝わっていた「背負い紐」ということです。

          

          ※ 私たちが知っているゆりかごとは少しイメージの違うアイヌ民族に伝わっていた「ゆりかご」です。(〇枠の中)

 また、アイヌの子守は男性もしたようだが、子守歌は女性が中心だったようだ。そうした中、男性による子守歌の歌唱の記録もいくつか残っているという。

 アイヌ民族の子守歌として共通するいくつかの特徴は、①語としてとくに意味のない言葉で歌うことがあるという。例えば「ハタ ハタ」「ハタ ハン」「オホ rrr オホヘ」といった言葉を意味のある言葉の前後で繰り返し挿入するという。(※ rrrは舌を震わす巻き舌の連続音を表す記号)

 この巻き舌のふるえ音は、和人の子守歌にない特徴だということだ。

 

 この後、講義はその他の民族の子守歌について、それぞれの特徴に触れたが、印象深い話は少なかった。そんな中、台湾の先住民族「サウ族」とカメルーンのピグミー(Baka族)には多声音楽(ポリフォニー)の子守歌があるということで、その音を聴かせてもらったが、ちょっと珍しい子守歌と私には映った。

 

 講義の最後に甲地氏は各地の子守歌について次のようにまとめた。

 ① 子守歌には「寝かせ歌」と「遊ばせ歌」がある。

 ② 子守歌の音の響き自体に、乳幼児をなだめやすい要素があるのかもしれない。

 ③ 子守歌には、民族や文化の違いが反映される。

 ④ 子守歌には、民族や文化の違いを超えて共通する要素もある。

 ⑤ 伝統的な子守歌には、それぞれの音楽文化の特徴が反映されている。

 ⑥ 子守歌は、子守りという目的・昨日のほかに、子守りする側(歌い手)の内面を表出させるカタルシスの機能、叙情歌としての側面も持つ。

 ⑦ 伝統を踏まえつつ新しいものを気楽に創り出せるジャンル…かもしれない。

とまとめた。

 

 文中でも触れたが、私は祖母から子守歌を聴かせてもらった体験があるが、おそらく私の息子はその体験がないのではないかと思われる。

 現代の日本の中で、子守歌はどれくらい残っているのだろうか?


ロシアWC 日本いよいよ出陣!ⅴsコロンビア 事前&事後

2018-06-19 15:26:05 | スポーツ & スポーツ観戦

 ロシアWCの出場権を得ている、西野ジャパンが今夜いよいよ出陣する。強豪コロンビアに対して悲観論が多いが、ジャイアントキリングを期待したい。戦いの事前と事後と2回にわたって投稿を試みてみたい。

          

          ※ この頁に使用した写真は全てウェブ上に掲載されていた写真を借用しました。

 ◇対戦前に勝利を願って

 友人のT氏から「ワールドカップ関連の投稿はしないのか?」という話があった。

 WCに対する関心はあるのだが、大会前の監督交代やテストマッチの不振から、私の中でいま一つ期待感が盛り上がっていなかったことも事実だ。

 しかし、他のグループリーグの戦いをTV観戦している中で、私の中でも徐々に盛り上がってきて、今夕の対コロンビア戦を迎えた。

                

               ※ 3大会連続でチーム主将を務める長谷部誠選手です。

 メディアは、対コロンビア戦の先発メンバーがおおよそ固まってきたと伝えている。

 それによると、ワントップに大迫、二列目に乾、香川、原口が入り、ボランチは柴崎と長谷部、4バックは長友、槙野、吉田、酒井宏樹、そしてGKが川島と予想し、伝えている。

 サッカー解説者の多くもおおよそこの布陣を予想している。いわば上記のイレブンが現状でのベストメンバーということだろう。

 

 サッカー観戦についてはまだまだ素人の域を出ない私だが、素人なりに事前に対戦を予想してみたい。

 コロンビアはエースのハメス・ロドリゲスが左ふくらはぎを痛めて欠場が伝えられている。それでもコロンビアの攻撃力は圧倒的と伝えられている。

 となると、今夜の日本にとってはいかにコロンビアの攻撃を防ぐことができるかが最も大きなポイントと考えられる。

 私から見ると、先発予想メンバーの攻撃陣はある程度の期待感が持てるが、はたして守備陣はどうなのだろうか?ボランチの二人を含めて、守備陣の健闘を期待したい。

           

          ※ 攻撃陣を操り、自らもゴールを狙う香川真司選手です。

 もし、守備陣が健闘し1点以内に抑えることが出来たら、あるいは多くの解説陣が希望的に予想する1対1という結果も期待できそうである。

 もう一つ期待したいのは、西野朗監督の手腕である。1994年のアトランタオリンピックにおいてU23を率いてブラジルチームを撃破し、「マイアミの軌跡」を演出した監督である。

              

              ※ 「マイアミの軌跡」の再現を望みたい西野朗監督です。

 選手たちが監督の神通力を信じて戦ったときに、思わぬチーム力として表現されることに期待したい。

 

 さあ、キックオフまであと5時間半。期待を抱きながらキックオフを待ちたいと思う。

 対戦後にまた投稿してみたい。

 

◇まさかの勝利に酔う

 まさかと思っていた強豪国コロンビアに2対1で勝利した日本!

 まだその興奮から冷め止まない私である。

 その勝利には幸運も味方に寄せた結果であるが、その第一要因はやはり戦前に予想したように圧倒的攻撃力を誇るコロンビアに対して粘り強く守ったことが第一の勝因ではないかと私は思う。

           

          ※ 試合直後、興奮冷め止まぬ中でインタビューを受ける西野朗監督です。

 幸運と記したが、何と言っても試合開始3分、相手がペナルティエリア内で日本のシュートに対してハンドの反則を犯し、PKを獲得したうえ、一発退場で日本は試合のほとんどの時間を数的優位に立ったまま試合を行えたことである。

 香川選手がPKを確実に決めて1点リードしたが、その後からのコロンビアの攻撃は凄まじかった。身体能力の高さを生かし、数的劣勢をものともしないコロンビアの攻撃の圧力は凄まじかったが、この攻撃をなんとか耐えることができたのも日本の数的優位が働いていたように思える。

 

 そうした中、前半終了間際、ペナルティエリア付近で犯した日本の反則に対して、FKを決められて同点とされ、前半を折り返した。

 

 後半、日本が戦術を変えたこと、そしてコロンビアが前半で体力を消耗させたことなどから、コロンビアの圧力は前半ほどではなかった。

 日本は数的優位の中、度々チャンスは作るものの、決定機を作れずにいたが、後半28分CKから大迫が見事にヘディングシュートを決めて、結局これが決勝点となって、まさかまさかの日本勝利となった。

          

         ※ 前半3分、PKを獲得し、香川選手が得点を決めるシーンです。ボールが白い線となって描かれています。(TVの威力?)

 これで今大会は俄然面白くなってきた。

 次戦、セネガル戦も深夜となるがけっした見逃すまいと思っている。

 


映画 214 希望のかなた

2018-06-18 20:18:05 | 映画観賞・感想

 監督のアキ・カウリスマキは言う。「私がこの映画で目指したのは、難民のことを哀れな犠牲者か、さもなければ社会に侵入して妻や家をかすめ取る、ずうずうしい経済移民だと決めつけるヨーロッパの風潮を打つ砕くことです」と…。今のヨーロッパを分断する難民問題を題材とした映画を観た。

                  

 6月16日(土)午後、白石区にあるリフレサッポロ(JICA北海道の隣にある札幌市の施設)において、「難民を知る2018 ちいさな善意がつむぐ希望の光~」というイベントがあり、その中で表記映画が上映されると知って参加した。

 

 映画「希望のかなた」は、シリアの内戦によって家も家族も失い、妹と主人公(カーリド)だけが生き残った。その二人のその後の行方を追う映画である。彼ら二人は故郷を捨てヨーロッパへと逃亡するが、その途中で妹と離ればなれとなり、カーリド一人がフィンランドに流れ着く。

 優しい国と思われていたフィンランド(監督のアキ・カウリスマキの母国)だったが、他のヨーロッパの国々同様押し寄せる難民のために寛容さを失いつつあった。

 難民申請をしたカーリドだったが、無情にも却下され本国送還の危機に瀕したり、ネオナチからいわれのない暴力を受けたりする。

 そのような中で、人生に躓いた一人の初老の男(ヴィクストロム)がカーリドに助けの手を差し伸べる。さらにはヴィクストロムの周りの人たちもカーリドに救いの手を差し伸べる…。

 

             

              ※ 主人公カーリドはフィンランド人たちの支援で無事に妹と再会できたのだが…

 そうしたフィンランドの内情を監督のアキ・カウリスマキは、時には難民に対するフィンランドの残酷さを、時にはフィンランド人の優しさをシュールなユーモアも交えながら描いていく。それはけっして声高ではないが、ヨーロッパの中にはびこりつつある難民に対して不寛容な社会へ警告を鳴らす映画である。

 そんなアキ・カウリスマキに対して、2017年度のベルリン国際映画祭は監督賞を与えた。

 

             

              ※ レストランを経営するヴィクストロムは経営不振の打開策として寿司を導入するのだが…。そこにはシュールな可笑しさが…。

 ヨーロッパの各国と違い、わが日本は私も含めて遠い国の問題として見ているところがある。しかし、世界が小さくなった今、我が国においても早晩難民に対してどう対処するかが問われることになると思われる。

 私自身、難民を受け入れる覚悟があるか、と問われると正直言ってはっきりと答えることができないのが現実である。考え続けていきたい問題である。


北大メディア研公開講座「世界の言語と文化」№2

2018-06-17 23:50:50 | 大学公開講座

 中国には回族と呼ばれるイスラム少数民族が存在する。彼らはイスラムを解するために、漢字でアラビア語を書いたり、アラビア文字を中国語を書いたりというような歴史を経ながらイスラム信仰を今日まで継続してきたという。

 

 北大のメディア・コミュニケーション研究院が主催する公開講座「世界の言語と文化」の第2回講座が6月14日(木)夜に開講された。

 第2回目は「漢字でアラビア語を書く、アラビア文字で中国語を書く」と題して、同研究院の奈良雅史准教授が講師を務めた。

                                       ※ 奈良雅史准教授です。

 まずタイトルについて次のような説明があった。

 1990年代に書かれたコーランのテキストは、アラビア語のように右から書かれた中国語のコーランや、アラビア語のコーランに漢字の「よみがな」がふられたものなどがあったそうだ。こうしたテキストは、現在は使用されていないそうで、テキストは時代によって変化しているという。

 

             

              ※ 写真左のように漢字で書かれたコーランと、右側はアラビア語で書かれたコーランです。

 中国はご承知のように宗教活動については厳しい現実がある。特に文革時代には厳しい弾圧に遭った。その後法的には信教の自由は回復されたが、いまだにさまざまな制限下におかれているのが実情だという。

 そのような中、講師の奈良氏は雲南省昆明市に入って回族の社会の変化を調査し続けているそうだ。そこから見えてきた中国のイスラム教の現実をさまざまな角度から講義された。

 

 前述したように中国における宗教事情は文革時代を経て、改革開放時代を迎えた1980年代以降になり、信仰の自由が回復したことにより急激な宗教復興の状況にあるという。といいながら、公の場での宗教勧誘活動などは制限を受けているともいう。

 宗教復興の具体的な状況は、1980年代以降イスラム関連の書籍が相次いで出版されるようになり、さらには2000年代入ってイスラム関連のウェブサイトも開設されたという。

 

 こうした状況下にあって、調査した昆明市にあっては宗教指導者を介さずに、一般信徒が宗教的知識にアクセスすることが容易となり、宗教指導者の宗教的知識の独占が崩れる傾向が出てきたそうだ。

 一方で、中国社会が進展する中で回族の「漢化」も進んでいるという。つまり宗教教育よりも普通教育を重視する回族の増加である。

 そのことで、回族の中では民族と宗教の分化傾向が出てきているとも奈良氏は指摘する。

 

 講義の全てを再現するのは難しく私の手に余るものなので、以降は私の雑駁な印象を綴ることでこの項を終えたいと思う。

 ご存知のように、イスラム教は他の宗教と比べてその戒律が厳しいことで知られている。

 そした中、中国においてイスラム教を信仰する少数民族として回族は古くから中国社会にあったが、中国政府の宗教対策、あるいは進展する中国社会にあって、必ずしもイスラムに帰依する回族ばかりではなくなってきている現実があるようだ。

 そうすると、回族の中における対立が内在することとなる。

 回族の中においては、コーランを解するためのアラビア語教育か、それとも中国社会で生きていくための漢語教育か、〈宗教教育と世俗教育の対立〉という問題が常に問題となっているという。

 

 中国におけるイスラム教徒は、中国社会において少数とはいえ約2,300万人とけっして小さな数字ではない。彼らが今後どのような道を辿るのか?そこには中国政府の宗教政策も関わってくると思われるが、果たして純化の道を辿るのか、それとも世俗化の道を辿るのか、回族のウォッチングを続ける奈良氏に、数年後に再びお話を聞いてみたいと思った。

 


いしかり市民カレッジ「アイヌの側から見た北海道150年」№3

2018-06-16 23:22:01 | 講演・講義・フォーラム等

 講座の最後となるこの回には、前回の講師の北原氏とともに、アイヌの血を継ぐ二人の方が同席され、三人それぞれから見た「北海道150年」を語ってくれた。その一つ一つが傾聴に値するものだった…。

  6月14日(木)午前、この講座のシリーズ3回目の最終講義が花川北コミセンで開催された。この回は「共に生きるために、アイヌが語る」と題して、前述したように三人のアイヌの血を継ぐ方々が、それぞれの想いを語った。

 

 その三人とは、前回の講師でもあった北大アイヌ・先住民研究センターの准教授の北原次郎太氏、同じく北大アイヌ・先住民研究センターの技術補佐員の橋本隆行氏、そして北大大学院文学研究科の博士課程に在学する石原真衣氏の三人だった。

 発表順に講演の要旨をまとめてみたい。

               

 石原真衣氏は、彼女の生育過程においてアイヌのルーツを明かさずに成長してきたそうだ。しかし、口の周りに入れ墨を入れた曾祖母はアイヌ民族の風習を子どもに伝えようとしなかったり、祖母はアイヌの血を薄めようと和人と結婚したりしたそうだ。そして彼女の母はアイヌ文化を身につけていないということで自らの存在を悩んでいる姿を見ながら育ったという彼女はいつもアイヌのことを意識しながら成長したようだ。

 そうした姿を見ながら成長した彼女は、「北海道150年」と聞いて、確かに開拓使設置後、和人が入植し、苦難の中で開拓し、現在の北海道があるのは多くの人たちの努力の結果だとは思うが、そこからアイヌという存在が置き去りにされてきたという痛みがあるという。

 アイヌの出自を持ちながら、アイヌの歴史や文化、他のアイヌの人たちに対して、親近感を持てず、家族ともアイヌの問題について語ることもできず、社会の中でたった一人沈黙している状況にあるという。そのようなアイヌの姿を彼女は「サイレント・アイヌ」と呼称する。

 彼女は今「サイレント・アイヌ」を脱したけれど、今なお多くのアイヌの血を受け継ぐ人たちが「サイレント・アイヌ」でいなければならない状況を一刻も早く脱して、自らの出自やアイヌの歴史や文化に誇りが持てるような状況を作っていかねばならないと主張された。

              

 続いて登壇した橋本隆行氏も、その生育過程においては自ら出自がアイヌであることを周りに隠しながら成長したそうだ。しかし、その内実はアイヌであることを周りに知られないようにいつも不安の中で過ごしてきたそうだ。

 しかし、成長して成人したあたりから自分の出自をもっと知るべきだと思い始め、アイヌの関する社会活動に参加するようになったという。

 その延長線上で、自らのルーツを探るために家系図の作成を思い付き、できるかぎりの手を尽くし、6代前くらいまで遡った素晴らしい家系図を完成させたものを見せていただいた。

 彼は言う。北海道150年は和人だけのものではない。アイヌも含めて開拓に従事した人全てが苦労した150年を忘れるべきでないし、忘れたくないと思う、と締めくくった。

 

             

 最後に登場したのは北原次郎太氏である。

 北原氏は前回に比べると、現状に対してやや攻撃的な言述に終始したように私には映った。

 北原氏が今の日本社会に対して望むことは、アイヌとして生きたい・アイヌ語を使いたいことだそうだ。それは、子育てや日常生活、パスポートへの表示などにおいてということだ。しかし、現状は…。

 そうした望みに対して、周りは否定しない層と否定する層に分かれるという。否定する側は、波風を立てるなという単一の価値観の強要があるという。

 あるいは、アイヌ語は死語じゃないか。もうアイヌはいないじゃないか。お前は混血じゃないか。もう日本人化しているじゃないか。などというアイヌの思いを全く理解しようとしない層がまだまだ多いことを指摘する。

 アイヌの側から見た150年は、和人による「取り込み」と「主体性の剥奪」と指摘した。そして現状は再び危機が訪れていると北原氏は言う。その危機とは、再忘却、現状肯定、免責のための選択的想起であるとした。

 ワードの個々の説明は省くが、北原氏が指摘するのは和人の側が以前と比べると巧妙に事実を隠蔽しようとしていることへの怒りの告発のように聞こえてきた。

 北原氏は最後に言う。「歴史に『もしも』を言ってもよい」と言う。「あのときこうなっていたら」と声に出して言うことで、現状を追認するのではなく、未来を変えるための契機になると…。

                                           

 三人の話を聞いて、アイヌの方々がその心の内に大きな重荷を背負いながら生きていたことを今さらながら教えられた思いだった。

 社会はアイヌ問題だけではなく、LGBTの問題など、多様性を認めようとする社会へと変貌を遂げつつあるように思われるが、アイヌの方々から見るとその速度や内容にはまだまだ物足りないということなのだろう。

 今回の講座受講の動機を私は第1回目のレポで「北海道において営々と歴史や文化を育んできたアイヌのことについてもっと知りたい」と記した。そういう意味においてとても意義深い講座だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


爽快!駒岡フットパスウォーク

2018-06-15 22:28:17 | フットパスウォーク & トレッキング
 落葉が降り積もってフカフカとした道、砂利が敷き詰められた道、アスファルトで塗り固まった道…、私が歩く道はそれぞれの表情を見せてくれたが、6月の爽やかな空気はどの道を歩いていても爽快だった!


※ なぜか画像を取り込むことができません。私の技量では解決が難しいですので、今夜はあきらめました。取り込むことができた時点で画像を添付することにします。
 
 今日(15日)、私は再び駒岡に赴いた。先日(8日)は雨だったこともあって、駒岡に設けられたフットパスコースを2コース踏破しただけだった。そこで、残りのコースを踏破しようと今日再び駒岡に向かった。
 一日で4コース踏破は難しいかな?と考えていたが、爽やかな空気にも後押しされて無事に4コース、26.3キロを踏破することができた。
それでは一つ一つのコースを簡単に振り返ってみることにする。(踏破順)

◇真駒内・桜山満喫パス(7.6キロ) 
 この日の4つのコースの中では、私が最も気に入ったコースだった。
 スタート地点の真駒内駅の近くから桜山に入り、まず桜山の北端を目ざし、折り返して南端を目ざした約4キロ強の桜山を縦断するコースである。森林の中を往くコースは、足元には落葉が降り積もっていて足に優しく、木漏れ日の中を往く素晴らしいコースだった。

◇常盤・芸術の森パス(8.4キロ) 
 この日最長のコースである。真駒内・桜山満喫パスのゴールである保養センター駒岡の庭で小休憩を取った後にスタートした。
 こちらのコースはほぼほぼアスファルト道路だった。初めは精進川に沿って南下する。精進川は札幌の市街地も流れる小さな川であるが、市街地ではあまり人の手が加わっていない自然の川のように映ったが、上流では反対にコンクリートや自然石に両岸を固められていた。どういうことか?
 コースの途中に、駒岡小学校、常盤中学校、札幌市立大学、さらには北海道科学大学付属高校や立命館慶祥高校のグランド(使用されている形跡はなかったが)があるなど、文教地区的な色彩も帯びていた。
 印象的だったのは、札幌市立大学横の真駒内川沿いの森の中を歩いた時だった。空は青空が広がっているのに、森林内は肌寒いくらいだった。
 コースの最後に真駒内川沿いから精進川沿いに移るところがある。その間はちょっとした峠になっており、けっこうな上りを強いられた。
 この日、私はここを3度も通ることになるとは、この時点では知らなかった。
 2時間かけてスタート地点の保養センター駒岡に戻ってきた。

◇保養センター駒岡周回パス(4.7キロ) 
 このコースはおよそ3/5がすでに一度歩いたコースだった。
 初めは、先日のウォークでの行き帰りに歩いたアスファルト道路である。
 特段の変わり映えもなく歩いていると、高校の体育系の部活が掛け声を合わせて一斉ランニングしているような声が聞こえてきた。それもかなり大きな声で…。この辺りに高校はあったかなぁ?と思いながら、付近にいた人に聞いてみた。すると、北海道警察の機動隊の訓練施設だと聞いた。道理で一段と声も大きいはずだ。
 コースは折り返すように真駒内川沿いの左岸を遡る。このコースは砂利が敷き詰められていたが、近くに住宅が迫っている付近は真新しいアスファルトで塗り固められていた。付近住民の散歩コースになっているようだ。
 そして最後は、真駒内・桜山満喫パスと同じように小さな峠を乗り越え、スタート地点の保養センター駒岡に戻ってきた。
 センターの庭で小休止を取ること、この日3度目だった。そして妻が作ってくれたおむすびをここで頬張ったのだった。

◇真駒内川パス(5.6キロ) 
 ここまででおよそ5時間が経過していた。
 脚には少し張りも出ていたが、気持ち的にはまだまだ前向きだった。
 最後は車を置いてある真駒内駅までのウォークである。
 このコースのスタートが、前の周回パスで帰ってきたコースを逆に行くコースだった。三度目の峠越えをして、真駒内川沿いに出た。そして今度は、左岸を北上する形だった。
 そして今度は、真駒内川を渡り右岸に出た。ここからは今回のフットパスでは新しいコースである。
 右岸沿いをさらに北上する。右岸沿いはサイクリングコースも兼ねていて、整備されていた。
 途中からはサイクリングコースとも別れ、足元はアスファルト道路から、ゴム製のブロックを敷き詰めたコースに変わった。札幌市内のウォーキングコースで時々出会うが、弾力があって足には心地よい踏み具合である。
 真駒内川沿いを北上し続けると、やがて北海道農業の父とも称されるエドウィン・ダンを記念した「エドウィン・ダン記念公園」へと導かれた。さらにその一角には「エドウィン・ダン記念館」も建っていた。
 そして約6時間を要して、歩数4万歩を越えた駒岡フットパスコースの一日を終えた。

札幌学院大公開講座⑧、⑨ 若者たちよ、立ち上がれ!

2018-06-14 21:26:16 | 大学公開講座
 何かをしなければと思いながら、何もしないでいると後悔する!と講師は言う。一人の講師は後悔しない生き方を説いた。もう一人の講師は、積極的に自らの生き方を選択し、今の自分に至った道を説いた。 

 前週の講座⑥、⑦は、孫娘の運動会の応援のために欠席し、6月9日(土)は2週間ぶりの受講だった。
 この日の講座のテーマは⑧の第一講が「いま、『なにか』をしなければと思うあなたに」と題して、NPO法人みなと計画代表の橋本正彦氏が、⑨の第二講が「地域と学業-地元の文化を調査して卒業しました」と題して、沼田町教育委員会学芸員の松井佳祐氏が講師を務めた。

             
             ※ 一人目の講師:NPO法人みなと計画代表の橋本正彦氏です。

 まず、最初の講師:橋本正彦氏は財団職員として20年以上の勤続経験を持つ傍ら、江別市のNPOとの関りから、転職を決意し、現在三つの顔をもって活動しているという。その三つとは、①若者支援NPOの主催(community HUB江別港 代表、NPO法人みなと計画 理事長)、②商店街の一員(大麻銀座商店街振興組合 専務理事)、③ファシリテーター、ということだ。
 橋本氏はファシリテーターらしく、講座にグループワークを導入し、私たちシニアと札幌学院大生で一つのグループを構成し、私たちシニアの職業体験を学生たちに生の声を聞かせようとした。
 これはなかなかの手法であり、学生たちには刺激になったのではと思われた。
 そして若者支援のNPOを主催していることから、学生たちにHUB江別港への参加を呼びかけるとともに、学生たちに「今、何をしなければならないか?」という課題に対して、①信じながら疑い、疑いながら信じること、②共感力をつけること、③裾野を広げることの大切さを強調した。
 江別市は内陸の街ですからもちろん港なんてありません。港をだれもが帰ってくるところ、と例えたのでしょうね。

             
             ※ NPO法人みなと計画の本拠地の建物です。右上に小さく「江別港」と読めます。


             
             ※ 二人目の講師:沼田町教育委員会学芸員の松井佳祐氏です。

 二人目の講師:松井佳祐氏はまさに札幌学院大学を卒業した学生たちの先輩だった。松井氏は卒業論文の対象に氏の出身地である沼田町にまつわる「河童伝説」について取り上げ、その伝説について地元住民から聞き取り調査を行った結果をまとめ・分析して卒論として発表したそうだ。
 そのことが一つの縁となって、地元教育委員会に学芸員として採用され、現在に至っているという経過を発表された。
 松井氏はまた、現在は沼田町を代表する郷土の祭り「夜高あんどん祭」に関わり、その伝承に努めているということだった。

             
             ※ 沼田町の有名なけんか祭(?)、「夜高あんどん祭」の様子です。
 
 今回の二つの講座は、共に自らの生き方を学生に提示して、自らの未来を積極的に選択することの大切さを学生に伝えることを狙った講座と理解した。

映画 213 万引き家族

2018-06-13 16:34:37 | 映画観賞・感想

 いや~、観る者を深~く考えさせる映画だった。血が繋がっていさえすれば家族なのか?そうではなくとも家族同様の絆を感ずることができれば家族と呼んでいいのではないか?そのような家族を引き裂く権利が誰にあるのか? etc. etc.……。

                 
                ※ 一家(?)揃った写真ですが、彼らはさまざまな理由・経過から一緒に住み始めた家族(?)だった。

 映画「万引き家族」が今年のカンヌ映画祭の最高賞(パルムドール)を受賞したと知り、「ぜひ観なくては」と思っていた。それはもちろん私のミーハー的な部分に拠るところ大なのだが、是枝裕和監督が脚本・監督を務めていることも大きな動機だった。彼の作品「そして父になる」を観て、この監督の素晴らしさに触れていたからだ。

 6月12日(火)、本来であれば6月の空の下フットパスに出かける予定が、雨で叶わずユナイテッドシネマ札幌に足を運んだ。
 ネット上にはいろいろなあらすじが登場しているが、その一つを拝借すると…。
「東京の下町、時代に取り残されたようなおんぼろ平屋で、父母の不安定な稼ぎを祖母の年金と万引きによって補いながら日々をつなぐ家族が、児童虐待を受ける女の子を偶然拾ってともに過ごすうちに、それぞれに心境の変化が生まれ、ある事件がきっかけで一家の真相、その在り方が露わになってゆく物語」

             
             ※ ごく自然な演技が好評の城桧吏(右)と佐々木みゆ(左)の子役二人です。             

 その「ある事件」、「一家の真相」についてはネタバレになるので敢えて触れないが、是枝監督はパルムドール受賞記念講演で「ふだん社会のなかで見過ごされがちな人々を可視化させようと考えて作りました」と語っている。そのように聞くと、一見社会の矛盾をあぶり出す固いドキュメンタリー映画のように考えがちだが、「ある事件」を持ち出し、「一家の真相が露わになる」ことを描くことで、観る者がある種のエンターテイメント性も感ずることができる映画となっている点が是枝監督が優れた点なのではないかと思える。

             
             ※ 一家(?)の幸せ絶頂期に海へ海水浴に行ったシーンです。            

 それでも映画は観る者を考えさせる。
 どうして血の繋がりだけが最も大切なのだろうか?
 どうして自ら選び取った目に見えない絆よりも、目に見えるけれど錆びて朽ちかけの鎖で繋がれることの方が大切といえるのだろうか?

 偶然にも、東京目黒区で船戸結愛ちゃん(5歳)が両親の虐待によってあまりにも悲惨な死に方をしてしまったという事件があったばかりである。
 映画では、拾われた女の子(佐々木みゆ)は主人公(リリー・フランキー)の家で楽しく過ごしていたのだが、「ある事件」をキッカケに元の虐待を受けた両親のもとに帰らざるを得ない状況でエンディングを迎える。

             
             ※ パルムドール賞のトロフィーを抱えて感激に浸る是枝裕和監督です。

 いくつもの要素が詰まったストーリーは、簡単に答えの出せるものではない。その答えもきっと観る者それぞれだろう…。
 東京目黒区ばかりでなく、日本各地で児童虐待がかなりの頻度で報道されるようになった今日、この映画を観ながら「家族」ということついて考えてみてはいかがだろうか?お勧めしたい映画である。


北大メディア研公開講座「世界の言語と文化」№1

2018-06-12 17:50:56 | 大学公開講座
  考えてみるとスイスという国は、私たちから見たら不思議な国である。国の中で三つの言葉(正確には四つの言葉)が話されているというのだ。それで一つの国が成り立っているのだから、ちょっと不思議に思われる。講座はそんなスイスの言語事情に触れたものだった。

 北大のメディア・コミュニケーション研究院が主催する公開講座「世界の言語と文化」の4回シリーズの講座が6月7日(木)より始まった。
 第1回目は「多言語社会とダイグロッシア」と題して、同研究院の江口豊教授が講師を務められた。

             

 いきなり耳慣れない言葉に当惑した。「ダイグロッシア」とは私は初めて聞く言葉だった。
 そこで講義前に慌ててスマホで調べてみた。それによると、「ダイグロッシアとは日本語に訳すると、『二言語変種使い分け』となる。社会によっては二つの明らかに異なる言語が状況や場面に応じて使い分けられており、同時に存在する場合がある」となっていた。

 スイスの場合、公用語がドイツ語、フランス語、イタリア語、レトロマン語と四つの言語があるという。その使用人口の比率は、ドイツ語64%、フランス語20%、イタリア語7%、レトロマン語1%という割合だそうだ。

       

 スイスの言語事情の特殊性の一つに、レトロマン語(ほかの三つの言語とは違い、スイス南東部の一部で使用されている方言のようなものらしい)を除くドイツ語、フランス語、イタリア語は、それぞれの国と隣接する地域で使用されている。ということは、それぞれの国への帰属意識、あるいはそれぞれの国との併合などという論議が出てきそうなものだが、そうした動きは見られないとのことだ。それはスイスという国の経済が比較的豊かだということにその因はあるという。

 次に、四つの言語が公用語とはいっても、国内において半数以上の64%の国民がドイツ語を用いているということだが、日常使われているドイツ語はスイス地方の方言のドイツ語(スイスドイツ語)だそうで、標準ドイツ語とは似て非なるものらしい。したがって、スイス国内においては、公的領域(行政、マスメディア、学校、教会など)では標準ドイツ語を、私的領域においてはスイスドイツ語が使われているそうだ。

 したがって、スイス国内のドイツ語圏においては、標準ドイツ語を学校で学び、それ以外ではスイスドイツ語を使っているという。また、マスメディアは標準ドイツ語と先に書いたが、テレビではスイスドイツ語で放送されているということだ。
 その他のフランス語、イタリア語使用地域にはドイツ語のようなことはないという。

 とまあ、複雑なスイスの言語事情のようだ。したがって、スイス人の相当数の人がトリリンガル(3か国語を話す人)らしい。
 ところが最近のグローバリズムの波が押し寄せる中、チューリッヒなどの都会では、学校において他言語を教育するより英語の教育を導入しようとする動きも出てきているらしい。

 最後に講師を務めた江口教授は、こうした言語事情はスイスだけが特殊ではないという。世界に目を広げてみると、多言語社会の国家がけっこう存在しているという。
 そういえば、私が体験した例では、インドでは各州、各部族によって使用言語が違うため、各地を旅して商売する人たちは英語を使用していた。調べたところインドの公用語はヒンディー語と英語だそうだ。
 ある統計によると、世界には6,700もの言語があり、特にアジア、アフリカは多いようで、一つの国が一つの言語で通用している日本などはあるいは特異な例なのかもしれない。

 江口氏は、多言語使用国家は一つの国として成り立っていくために相応のコストがかかっているとした。


トレッキング in 小樽・旭展望台周辺遊歩道

2018-06-11 18:43:39 | フットパスウォーク & トレッキング

 小樽駅からそれほど離れていないところに緑豊かな自然が残されていた。展望台からは小樽市の中心街、そして小樽港が一望でき、遊歩道の一角には小樽出身のプロレタリア作家の小林多喜二の大きな文学碑も立っていた。

          
          ※ 「旭展望台周辺遊歩道」の中の森林の典型的光景です。

 6月10日(日)、「小樽自然の村観察会」を終えた私は物足りなさもあったため、場所を変えて「旭展望台周辺遊歩道」でトレッキングを楽しむことにした。
 小樽市に不案内な私はナビに従い旭展望台を目ざしたが、導かれたのは旭展望台の麓にある小樽市立西陵中学校のところだった。

             
             ※ 私がカーナビで導かれた西陵中学校のところです。

 資料によると、「旭展望台周辺遊歩道」は合計18本のコースがあって、その総延長は14kmということだ。
 私が歩いたのは、そのうち9号線、13号線、14号線、12号線、10号線、そして再び9号線を通って西陵中学校のところへ戻ってきた。距離としてはそれほどでもない。6~7km程度だろう。

             
             ※ 西陵中学校のところかせスタートした遊歩道の様子です。

 遊歩道はあまり手を加えず、自然をできるだけそのまま残そうとした遊歩道のように見えた。歩道に砕石が入っているのは歩道維持のためには仕方ないのかもしれないが、それ以外はほとんど人の手が入っていないように見える、そのまま感がいいなぁと思った。

             
             ※ 旭展望台まで私はトレッキングで登ってきましたが、車で近くまで来ることのできる道があるようです。

             
             ※ 旭展望台から小樽中心街を望んだところです。

 観察会の後だったこともあり、ひたすら歩くというよりは、周りの草花に注意を払いながらのトレッキングとなった。
 すると、「小樽自然の村」では見ることのできなかったさまざまな山野草を見ることができた。
 それらの山野草を並べてみた。

◇オオハナウド
 遊歩道に入ってまず目に入ったのが、このオオハナウドの群落だった。背の高いオオハナウドが一面に生えているところに出合った。

             

◇エンレイソウ
 先日の野幌森林公園でも見たエンレイソウが実を付けていた。

             

◇クルマバソウ
 クルマバソウもちょうど花を付けている時期だった。白い小さな花が可愛らしい。

             

◇マイヅルソウ
 マイヅルソウもこの時期が花の時期なのだろう。あちこちで目撃することができた。

             

◇ミズヒキ
 葉に特徴のある模様が入った野草は何というのだろう?と思っていたのだが調べてみるとミズヒキの葉だということが判明した。

             

◇タニウツギ          
 今どき桜の花のようなピンク色の花を付けた木が何本が目撃できた。「はたして何だろう?」と思ったのだが、昨日のsakagさんのブログに同じような花の木が載っていて、タニウツギと記されていた。おそらく同じ種だと思われるのだが…。

             

             

◇エゾマイマイ
 トレッキングの最中に遊歩道の真ん中に現れ、思わず踏んでしまいそうだった。殻の様子からエゾマイマイだろうと思われる。体長が6~7cmの大きなものだった。

             

◇名前が特定できない山野草
 先日の野幌森林公園観察会の時には紹介された種のように思われるのだが、メモできなかった。写真はピントが合っていないが種をお判りの方は教えていただければ幸いです。

             

 続いて、「小林多喜二文学碑」である。この碑は「旭展望台」の近くにあった。私がアクセスしたルートとは違うルートを辿ると、文学碑のところまで車で上がってくることができる位置に建てられていた。「建てられていた」と表記するほど大きな碑である。(高さ4m、幅6mだそうです)
 文学碑には大きな顔が象られているが、私は小林多喜二の顔かと思っていたが、そうではなく、漁業労働者の逞しい顔だということだ。小林多喜二の方は、右上に小さなレリーフとして象られていた。

             

             
             ※ 小林多喜二のレリーフは文学碑の片隅に小さく象られていました。

 小林多喜二文学碑が建てられている広場の近くには「樺太記念碑」も立てられていた。碑の上部には国境標のレプリカが載せられていた。

             

 「旭展望台周辺遊歩道」の全てを体験したわけではないが、市街地近くにあってなかなか魅力的な遊歩道である。
 ただ、分岐点ごとに置かれている案内板が経年劣化して読み取れないものが多かった。是非とも再整備してほしいものである。
 その時には再び訪れて、全ルートを踏破してみたいと思った。

             
             ※ このようになんとか判読できる案内板もありましたが…。

             
             ※ これでは全く判読は不能です。なんとかしてください!小樽市様!

             
             ※ 写真のように所によっては野趣溢れるコースもありました。