彼女とは、私が入会している浜田省吾のファンクラブを通して知り合ったペンパルさんだ。
以前の手紙で体調を崩し、9月のコンサートにも一緒に行くはずだったが
結局 参加する事が出来ずに居たのだが、すぐに退院出来ていた事に安心していた。
次のコンサートには再会の約束をしていたのだが
今朝は無性に声が聞きたかった…。
電話をしたら、何時もの元気な声に安堵したのだが、話しはシビアなものだった。
昨日 手紙を出したの…その後の、ひと息の沈黙の意味は知る由もなく。
「手紙と重複しちゃうけど話すね…。」と、ちょっと嫌な予感が過った。
「今度ね また 入院する事になったの…手術する事になってしまって…。」
確か 以前は手術をしなくて放射線の治療に変更になり
結果も良いものと、彼女も胸を撫で下ろしていたはずだったのに。
「詳しい事は手紙に書いたので読んで…。」と。
また 何かラジオ放送のテープを送ろうか? そう聞いたのだけれども、彼女は言った。
「正直 以前の入院の時にもCDやテープも、たくさん持って行ったけど、半分も聴けなかったの。」
「本当に体調が悪い時って聴けないの…聴きたいんだけど、体が辛いの。」って。
確かに、そういうものかもしれないと思った。
私に限らず、省吾の曲に励まされたり癒されたり、または元気をもらったりとか
よく使う言葉なのだが、本当に辛い時には聴く余裕がないのかもしれない…。
私がファンクラブに入会する前の、10年間の月日が
省吾の曲から離れていたように、そこまで気が回らないのではないかと思った。
この10年の間には、夫がくも膜下出血で倒れ、ば~ちゃんの脳梗塞とじ~ちゃんの認知と
子供の入試や日々雑多な事に追われるような毎日だった。
省吾の曲に励まされ癒され元気をもらったのは
少しばかり余裕の出てきた、ここ3年ほどの事だったと今更ながら気づいた。
分かっている…それでも、私は彼女に贈りたいと思う。
いろんな事柄に押し流されるような生きる事について
人は歩きつづけて途中で休んでみたり、あるいは回り道であったり
道無き道を歩かなければならない事もある。
良い事ばっかりの人生ではないかもしれないけど
それでも、自分なりに一生懸命に生きてきた、歩いて来たと胸を張って言いたい。
そう…太陽は沈むけれど、必ず昇って来る。
先の見えないトンネルに入り込んで、悩み苦しんでいる友達もいる。
みんながもがき苦しんで、それでも 一生懸命に生きている。
そんな事を謳っている浜田省吾の「日はまた昇る」を贈りたい。