South Is. Alps
South Is. Alps
Coromandel
Coromandel, NZ
Square Kauri
Square Kauri, NZ
Lake Griffin
Lake Griffin


チキンの塩焼き

チキンの塩焼き(骨なしもも肉を適当な間隔で皮身ともに切り目を入れ、塩胡椒して、グリルで焼く。焼き上がったところで、適当なサイズに切り分け、仕上げの胡椒をかけて供す)
ワサビ菜の煮浸し(ワサビ菜を適当なサイズに切り塩ゆでして水にさらしておく。カツオだしに酒、薄口醤油、塩で味を調える。ゆでたワサビ菜をつけておき味をしみつける。鰹節をかけて供す)
新タマネギのサラダ(新タマネギを薄切りし水にさらしておく。皿に空けて、鰹節をかけ、ポン酢をかけて供す)

2005-03-19 22:13:58 | 夕食・自宅 | コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )


読了・シベリア鎮魂歌:香月泰男の世界

立花隆、2004、『シベリア鎮魂歌:香月泰男の世界』、文藝春秋

香月泰男のシベリア体験をつづった『わたしのシベリヤ』(1970年、文藝春秋)は、立花の構成と聞き書きよるものであったそうである。本書は、その再録も含め香月のシベリア体験を取材したNHK山口の番組のノベライズと再構成、山口県での長時間に及ぶ講演を加筆再構成してできあがった作品である。また、すべてのシベリアシリーズの図版を見ることができる。立花が本書の中で繰り返し言っているように、図版では読み取ることができないものが多いようで、是非、現物の作品を見たいものである(はっきり記憶しているわけではないが、1994年に愛知県立美術館で「香月泰男」展が開催されており、見に行った気がする)。
わたしは香月の作品について語ることも本書全体について評することもできないが、ふたつのポイントだけ指摘しておきたい。それは、「赤い屍体」と「黒い屍体」についてと、作品「囚」についてである。
「赤い屍体」とは香月がシベリア送りのために有蓋貨車に乗せられて満州の平原を北上していた際に見かけたという日本人の屍体である。戦いが終わり現地の人々の恨みを買った人物が殺害され、皮膚を剥かれて放置されていた。作品「1945」にこの「赤い屍体」が描かれている。「黒い屍体」とは、広島長崎の原爆において焼かれた人々の屍体である。前者は戦争における「加害経験」を後者は「被害経験」をそれぞれ象徴するものである。すなわち、香月は彼自身の悲惨なシベリア体験にもかかわらず、単なる戦争被害者とのみ自らをとらえていたのではなく、自らも加害者の一員であったこともまた記憶すべきであることを強く示唆するのである。
また、庶民である彼自身を含む日本人たちが加害者になり被害者にったのは、自らの意志によるものではなく、むしろ、為政者の政治的判断による。一遍の文書により軍隊に送られ「殺人」を強いられ加害者にならされたか(作品「朕」における軍人勅諭)、あるいは、一遍の降伏文書によって自ら意図して参加したものでもない戦争状態から、一方的に解放される。そして、戦争とはいえ戦いの中で直接的な死を遂げたばかりか、日本人の戦死者の多くが餓死者であったこと。それは、兵站を全く構想し得ない貧困な思想をもつ軍隊によって戦場に送り込まれた庶民(作品「<私の>地球」に書かれている「ホロンバイル」「シベリア」「インパール」「ガダルカナル」「サンフランシスコ」の地名)。歴史の中で翻弄されていく庶民の納得のいかなさについて、作品制作を通じて香月はこだわり続けたのである。もちろん、香月は戦中にあって反体制であったわけではなく、この納得のいかなさというのがポイントである。
作品「囚」は作品の右手に黒く窓とおぼしき空間があり、ここからのぞき込む顔がある。ソ連兵という。その窓の左手にはソ連の象徴である鎌とハンマーが描かれる。この作品は、シベリアの収容所で囚われる香月らのいる内部を監視のためにソ連兵がのぞき込んでいる構図なのだが、逆に収容所列島(ソルジェニーツイン)によって囚われているソ連の人々をも指すという仕掛けになっている。囚われが双方向的なのである。
戦争における体制と庶民の問題、戦争体験の被害加害の問題、囚われの双方性など、昨今、憲法改正問題や自衛隊のイラク派遣、少し前の歴史教科書問題、あるいは、最近の竹島問題など、我々の戦争体験の評価について改めて心すべき時期、立花とともに香月に作品を吟味しつつ、戦争について深く考えることはきわめて大切であろうと思われる。

三隅町立香月美術館
山口県立美術館所蔵香月泰男作品

シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界

文藝春秋

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2005-03-19 12:14:50 | 読書 | コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )