『日本≪島旅≫紀行』

斎藤潤、2005、『日本≪島旅≫紀行』、光文社新書
私の訪問した日本の島は、子どもの頃から(覚えている範囲で)いうと、淡路島(子どもの頃両親に連れられて)、紀伊勝浦の中ノ島(同じく、温泉旅行)、北海道の洞爺湖の中の島(同じく、札幌のおばあちゃんを訪ねたときの)、青島(高校の修学旅行)、天草島、島根県の中の海の大根島、萩市の沖の相島、豊後水道の日振島といったところか。
子どもの頃に行った島をのぞくと、天草島は、大学の同級生の実家のお寺に泊めてもらい、その本道でキャッチボールをした。大根島は調査のまねごとをしに行って、通りがかりのおばさんに、朝鮮人参とボタン花の行商の話を聞かせてもらった。相島では島での暮らしを聞かせてもらった。
日振島では、おばあさんがとってきたたしか「にし」という名の巻き貝だったかを縫い針でほじって食べた。結局は、友人と二人で一鍋食べてしまったのだが、島での暮らしについて話を聞かせてもらった。また、この島では、漁船に乗せてもらって勇壮な巻き網漁を見学した。漁のあと、早朝、八幡浜や佐伯の漁港での水揚げにも連れて行ってもらった。船で漁師さんたちと一緒に、アジやイカの刺身を醤油につけてご飯にのせてたべた。あれ以上にうまい食事はなかった。本書を読みながら、そんな昔のことを思い出した。
本書は著者が訪ねた日本の数多くの島をたずね、それぞれの島での出会いについて語っている。多くの島は、過疎化が進み、人口が減っている。そうした中で、著者は島ならではの生活振りを懐かしみつつ振り返り同時にこれからの島での生活のありようについて想いをはせる。一律の「島おこし」はあり得ない。それぞれの島の事情(過去と現在)があり、また、都市に住む人々が抱える老後の生活や自然との関わりについても、著者は考えを進めながら書き進む。
本書は、「シマダス」が役所的データであるといいつつも、それを手にしつつ、本書ももっての島旅を勧めている。若者の放浪やマリンスポーツや中壮年の釣りよりも、老年の老後の生活(島民のそれだけではなく)について関心を強く持ちつつ本書を描いている。
私の訪問した日本の島は、子どもの頃から(覚えている範囲で)いうと、淡路島(子どもの頃両親に連れられて)、紀伊勝浦の中ノ島(同じく、温泉旅行)、北海道の洞爺湖の中の島(同じく、札幌のおばあちゃんを訪ねたときの)、青島(高校の修学旅行)、天草島、島根県の中の海の大根島、萩市の沖の相島、豊後水道の日振島といったところか。
子どもの頃に行った島をのぞくと、天草島は、大学の同級生の実家のお寺に泊めてもらい、その本道でキャッチボールをした。大根島は調査のまねごとをしに行って、通りがかりのおばさんに、朝鮮人参とボタン花の行商の話を聞かせてもらった。相島では島での暮らしを聞かせてもらった。
日振島では、おばあさんがとってきたたしか「にし」という名の巻き貝だったかを縫い針でほじって食べた。結局は、友人と二人で一鍋食べてしまったのだが、島での暮らしについて話を聞かせてもらった。また、この島では、漁船に乗せてもらって勇壮な巻き網漁を見学した。漁のあと、早朝、八幡浜や佐伯の漁港での水揚げにも連れて行ってもらった。船で漁師さんたちと一緒に、アジやイカの刺身を醤油につけてご飯にのせてたべた。あれ以上にうまい食事はなかった。本書を読みながら、そんな昔のことを思い出した。
本書は著者が訪ねた日本の数多くの島をたずね、それぞれの島での出会いについて語っている。多くの島は、過疎化が進み、人口が減っている。そうした中で、著者は島ならではの生活振りを懐かしみつつ振り返り同時にこれからの島での生活のありようについて想いをはせる。一律の「島おこし」はあり得ない。それぞれの島の事情(過去と現在)があり、また、都市に住む人々が抱える老後の生活や自然との関わりについても、著者は考えを進めながら書き進む。
本書は、「シマダス」が役所的データであるといいつつも、それを手にしつつ、本書ももっての島旅を勧めている。若者の放浪やマリンスポーツや中壮年の釣りよりも、老年の老後の生活(島民のそれだけではなく)について関心を強く持ちつつ本書を描いている。
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