『日本インターネット書紀 』

鈴木幸一、2015、『日本インターネット書紀:この国のインターネットは、解体寸前のビルに間借りした小さな会社からはじまった』、講談社
同時代に生きるものとして、本書にかかけれいる問題点や課題について、大いに共感する。もちろん、著者はビジネスの世界に関わっていたわけなので、私が共感する部分はそこにはない。しかし、彼のインターネットに関する思い、これからはたくさんのことがインターネットに関わらざるを得ないということ、また、インターネットが出発点から自由な、むしろ、カウンターカルチャーに始まり、既成の概念や権力とは距離感があったこと。そうであるにもかかわらず、インターネットの普及をビジネス化するためには権力との並々ならない調整を必要とすること。権力は、情報の管制以外の発想はなく、それは、インターネットの思想と根本矛盾があること。かといって、現在の普及段階に至ってみれば、セキュリティやプライバシーに関する利用者の無分別といっていいほどの過剰なまでの信頼について、もともと、インターネットが持っている性質、自由度の高さとは、矛盾があること、などなど。
著者の記していることはもちろんルサンチマンも散見されるとは言うものの、インターネットがカウンターカルチャーの中で誕生したことへのオマージュが多々見られることは望ましく感じる。しかし、ビジネスとして考えると、様々な妥協点がなければ、現在のような状況にはならないだろう。ビジネスマンとして、インターネットを普及しなければならないという著者の熱い思いに共感するものではあるが、しかし、現実はどうだろう。
インターネットの未来、規制と自由という相矛盾するシステムであるインターネッにとっての未来は、どのような方向に向かうのか。これまでも言われ続けている格差(デバイド)は、開くことはあれ、縮まることはあるのだろうか。電力を過剰に消費する産業(製造側も、消費者も)だけに、まずは電力ありきの体制側に立つことがやむを得ないと思われるが、これまた、重要な課題ではある。
はたして、インターネットにどのような未来ば待ち構えているのだろうか。
同時代に生きるものとして、本書にかかけれいる問題点や課題について、大いに共感する。もちろん、著者はビジネスの世界に関わっていたわけなので、私が共感する部分はそこにはない。しかし、彼のインターネットに関する思い、これからはたくさんのことがインターネットに関わらざるを得ないということ、また、インターネットが出発点から自由な、むしろ、カウンターカルチャーに始まり、既成の概念や権力とは距離感があったこと。そうであるにもかかわらず、インターネットの普及をビジネス化するためには権力との並々ならない調整を必要とすること。権力は、情報の管制以外の発想はなく、それは、インターネットの思想と根本矛盾があること。かといって、現在の普及段階に至ってみれば、セキュリティやプライバシーに関する利用者の無分別といっていいほどの過剰なまでの信頼について、もともと、インターネットが持っている性質、自由度の高さとは、矛盾があること、などなど。
著者の記していることはもちろんルサンチマンも散見されるとは言うものの、インターネットがカウンターカルチャーの中で誕生したことへのオマージュが多々見られることは望ましく感じる。しかし、ビジネスとして考えると、様々な妥協点がなければ、現在のような状況にはならないだろう。ビジネスマンとして、インターネットを普及しなければならないという著者の熱い思いに共感するものではあるが、しかし、現実はどうだろう。
インターネットの未来、規制と自由という相矛盾するシステムであるインターネッにとっての未来は、どのような方向に向かうのか。これまでも言われ続けている格差(デバイド)は、開くことはあれ、縮まることはあるのだろうか。電力を過剰に消費する産業(製造側も、消費者も)だけに、まずは電力ありきの体制側に立つことがやむを得ないと思われるが、これまた、重要な課題ではある。
はたして、インターネットにどのような未来ば待ち構えているのだろうか。
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