おばあちゃんの畑のバジルとルッコラで、家人がジェノベーゼと「ルッコラーゼ」を作ったのでそれを使った料理。
金目鯛のジェノベーゼ・ソテー(金目鯛の切り身に切り目を入れて塩胡椒。グリルで焼いて、皮目のところにジェノベーゼをのせて、焼いて仕上げる)
ルッコラーゼバスタ(フライパンにオリーブオイルと赤唐辛子小口切りを入れて炒め、「ルッコラーゼ」を適量入れて、加熱。アルデンテのリンギーネを入れてよくあえる)
生バジルとトマトのサラダ(生バジルを粗めの千に切り、塩胡椒、オリーブオイル、バルサミコ酢を入れてよくあえておく。トマトを好みのサイズに切っていれ、よくあえて供する)
芦屋市民コートにて大学時代のクラブのOB会があって、13時から17時ごろまでテニス。4ゲームマッチのダブルスで5-6ゲームができた。テニスを再開して2年半ぐらい、ようやく、あたりが出てきた感じがする。おかげで、週一回のスクールも目標ができている。
終了後、六甲アイランド・天天酒家で懇親会。当時は話せなかった先輩方の裏話が聞けて、話題が盛り上がった。また来年の再会を約す。同級生たちと車で大阪市内まで送ってもらう。運転をしてくれた友人は、一週間前から禁酒をはじめたとか。けなげにウーロン茶を飲んでいると映るのだが、本人は飲まなくとも大丈夫といっている。禁酒に関する本を読んではじめる気になったとか。継続できるといいね!
料理は決して悪くはない味だと思うが、六甲アイランドシェラトンに隣接するフードコートの一角にあり、どう見ても寂れていそうである。
森巣博、2000、『神はダイスを遊ばない』、新潮文庫
オーストラリアを拠点とする世界をまたにかける賭人と自称する森巣博の作品。この作品は「ファクション(fact+fiction)」をいうのが作者の主張。小説でもありドキュメンタリーもしくはルポでもありといった作品であるという。
森巣博は、オーストラリアの某有名政治学者の夫君であることはその名前から知れようが、著者の主張は、狭い世界に生きる日本人にとって、瞠目の内容であろう。2005年8月5日の日経新聞には、日本が3T(Technology、Talent、Tolerance)の世界ランキングで世界第二位であるとのエッセーが寄せられていたが、三つ目のTを前の二つがカバーしての第二位であったとのことである。ちなみに第一位はスウェーデンであるという。
三番目のTの決め手になるのは、社会における多様性の受容ということのようであるが、このエッセーで触れられるまでもなく、これが日本の最大欠陥であろう。
国境を持たない賭人である森巣博のほかの著書でも繰り返し触れられているのであるが、多様性を受容し越境する人間の存在、あるいは、越境した人々を受容できるかどうか、これが、日本の課題であろう。森巣氏が、日本ではなく、オーストラリアに居住していることはその証左であろうか。とすると、やはり、問題だ!
2005-08-05 20:09:00 |
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昼ごろから奈良の実家に来ている。
牛肉とニンニクの芽とモヤシの炒め物(しょうが千切りをごま油でいため、さいころステーキを入れて火を通す。ニンニクの芽ともやしを入れさらに炒め、塩コショウで味を調える)
トマトときゅうりの中華風スープ(トリガラスープをいれ、トマトときゅうり、しょうがをいれ火を通す。水溶き片栗粉でとろみをつける。塩コショウで味を調える。仕上げに溶き卵を入れる)
ピーマンのからし酢あえ(ピーマンを千切りしてさっと湯がき、水にとって冷やしたと、からし、レモン、薄口しょうゆ、塩コショウで味を調えた調味料でよくあえ、冷蔵庫できりりと冷やしておく)
久しぶりの浅野屋。チーズとナッツのサラダ、トマトのサラダ、冬瓜のピクルス、おろしトンカツ、ビーフシチュー、ハヤシライス、デザート。
愛知万博へは二回目ではあるが、前回は、会場を回らなかったので事実上一回目。会場でのことは別の記事で述べることとして、ここでは、夕食のみ。
愛知万博会場内・Dolceで前菜・プリモ・セコンディと各一品を頼んだのだが、一気に出てきた。コースだと順番だそうだが、一品料理は順番関係ないとか。ま、はっきり言って、期待していないから、どうでもいいのだけれど、やれ、喫茶だけの場合はダメとか言っておきながら、また、グルメ・イタリアの名が泣くというものだ。味も、ファミレスクラス。万博はそんなところということなのだけれど、それにしても、いい加減にしてよ!
そのあと、イタリア館2FのCafe Torinoに移って、赤のグラスワインとチーズセットを食べたのだが、ま、これも、こんなものかであった。残念でした。
中沢厚、1981、『つぶて』、法政大学出版局(ものと人間の文化史44)
子どもの頃、子ども同士のケンカで石を投げ合ったことがある。びゅんびゅん飛んでくる石に恐れをなして、傷つくものもなくののしりあってケンカは終わった気がする。また、水面に平たい石を下手投げで投げてはジャンプさせたことも思い出した。「パチンコ」と呼んでいたゴム製の飛び道具で小鳥やコウモリを撃とうとしたことも思い出した。そして、どこかの神社で、鳥居に小石が投げあげられていたり、祠や石像に石が積まれていたのを見たことがある。
子どもの頃の石に関わる経験がいくつもあったにもかかわらず、石がもつ力やその意味について、ここまでこだわったものは読んだことがなかった。そもそも本書を読むきっかけは、中沢新一の『僕の叔父さん網野善彦』で、その中で中沢新一の父君である本書の作者の事がふれられていたことであった。空母エンタープライズ阻止闘争で学生たちが機動隊に石つぶてを投げていた報道テレビを見ながら網野善彦や本書の著者が、思わず声を上げ、それを契機にして網野は『蒙古襲来』をものし、父君は本書をものした。
パレスティナにおける反イスラエルのインティファーダにしても反権力の闘争には石つぶてが投げられる。学生運動の投石もそうしたものであろう。しかし、単に、そうした状況的なものにとどまらず、人類にとって石つぶてとは何かについて、こだわったのが本書である。鉄砲が誕生する前、いや、それより前、弓矢が登場する前の根元的な飛び道具が石つぶてであったのである。そうした意味でも本書はもっと読まれてよいのではないか。
読み始めてから半分ほど読み進んだ後、しばらく放置していたのだが、ようやく読破できた。
2005-08-02 23:29:27 |
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池下・Pizza East(緑野菜のサラダ、魚介と野菜のサラダ、菜の花とからすみのパスタ、マルゲリータコンフンギ・ピザ、デザート)
ありがた屋(つけ麺、冷やし胡麻麺、醤油らーめん)
若い友人たち二人とと、二軒をはしご。よう食いよった!どっちもお薦めの店なのだが・・・。
ピーマンの芥子酢あえ(ピーマンを千切りし、色よく塩ゆで、さっと水に放つ。用意した、芥子酢にあえる。本からし、米酢、紹興酒、塩胡椒、砂糖、白胡椒、ごま油をよくあえて、芥子酢にする)
ゆで豚(豚ロース肉を、ニンニクと生姜をつぶしたものと白ネギの青みの部分を入れて、茹でる。火が通ったところで上げで、5ミリほどの厚さに切って、黒酢、醤油、豆板醤でつくったたれにつけ、白髪ネギをともに食する。
冬瓜のスープ(豚ゆで汁に、適当な小ささにきって、茹でる。ナンプラー、塩胡椒。もどした干し椎茸を細く切りもどし汁もこれに加える)