South Is. Alps
South Is. Alps
Coromandel
Coromandel, NZ
Square Kauri
Square Kauri, NZ
Lake Griffin
Lake Griffin


Sydney: East Ocean Restaurant

毎年、シドニーに来たら必ず寄るようにしているのが東海酒家というレストラン。夜、8時半ごろにシドニーに到着して宿に到着の後、行ってみた。レオンという名前のギャルソンがいて、もう、10年くらいの付き合いになっている(とはいえ、店に行ったときに声をかけて、一言二言話す程度だけれど)。
今夜は、ピータンとくらげの前菜とシルバー・パーチ(銀鱸)の清蒸。なかなかの味でした。

2005-08-28 21:45:32 | 夕食・外食 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『そして夜は甦る』、『私が殺した少女』

原、1995、『そして夜は甦る』、ハヤカワ文庫
原、1996、『私が殺した少女』、ハヤカワ文庫
私が好んで読んできた読書ジャンルは探偵物と警察物だ(コーンウェルのスカーペッタ・シリーズも含めて)。先ごろなくなったエド・マクベインの作品はそのひとつで、彼の八七分署シリーズは、最近の数冊はともかくも、翻訳されたものは、すべて読んできた。
このシリーズを含め、私が読んできた探偵物と警察物そのすべては、翻訳ものであったといってよい。決して横溝正史を読まなかったわけではなかったが、必ずしも、好きではなかった。どういえばいいのかわからないが、あまりにも、ローカルなシチュエーションに興味が沸かなかったということであろうか。
原の沢崎探偵シリーズを手に取ったのは、偶然のことで、本屋の立ち読みで、日本にもこんな作家がいたのかと思ったからであった。フィリップ・マーロウの「人はタフでなければ生きていけない。しかし、人はやさしくなければ生きる資格はない」であったかのせりふ、この類の箴言が作中あふれている。
たとえば、『私が殺した少女』の終盤、それまでの犯罪に関するシナリオがすべてが覆されようとする会話の中で出てくる。沢崎探偵は言う「人間のすることはすべて間違っていると考えるほうがよい。すべて間違っているが、せめて恕される間違いを選ぼうとする努力はあっていい」。それに対して、犯罪幇助者はこたえる。「そこが、あなたと私の違いだ。私にはほこりというものがある。家族を守っているという誇りだ」。再び、沢崎。「私も誇りの話しをしていたつもりだ。家族を守るというが、○○や××を一番苦しめているのは、あなたが知恵と称している’虚偽’だし、つまりはあなた自身ではないのですか」。
読者はストーリーを追うだけではなく、沢崎のこうした会話を各ページにおいて楽しむことができる。日本の探偵物警察物において足りなかったのは、こうしたウィットにとんだ、また、人生の中の苦さをユーモアも含めて語る沢崎の言葉であらわされるセンスであったろう。原はおそらく翻訳物(原作を読んだのかもしれないが)を読みこなし、日本の探偵物に新しい「沢崎」という日本版マーロウを誕生させたのである。
原の作品を紹介するのにストーリーを説明に使おうとすると、これからの読者にネタばらしになるのでやめておいたほうがいいだろう。蛇足というものだ。

そして夜は甦る

早川書房

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私が殺した少女

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2005-08-28 21:23:33 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )