『グロテスクな教養』
高田里惠子、2005、『グロテスクな教養』、ちくま新書
「男の子の教養」という言葉が本書の中によく出てくる。そして、本書の序章は<教養、あるいは「男の子いかに生くべきか」>であり、締めは<女、教養と階級が交わる場所>と題されている。「教養主義は、所詮、男のものよ、教養主義からの脱却!」というシナリオでも提示されてくるのかと思って読み進めていくと、ところがどっこい、そうでもないことが次第にわかってくる。著者も「教養」大好きの東大出身者で、結局のところ、「とりわけ私のような女は、もちろん教養あるのよ」ということを言いたかったのか、という風に読むのはうがち過ぎか?
著者が現れるまでは、非常によく理解できた。男性中心の教養主義の崩壊というシナリオで行ってほしかった気がするが、残念ながらそうはならず、新たなパラダイムの提示には至らなかったようである。
「男の子の教養」という言葉が本書の中によく出てくる。そして、本書の序章は<教養、あるいは「男の子いかに生くべきか」>であり、締めは<女、教養と階級が交わる場所>と題されている。「教養主義は、所詮、男のものよ、教養主義からの脱却!」というシナリオでも提示されてくるのかと思って読み進めていくと、ところがどっこい、そうでもないことが次第にわかってくる。著者も「教養」大好きの東大出身者で、結局のところ、「とりわけ私のような女は、もちろん教養あるのよ」ということを言いたかったのか、という風に読むのはうがち過ぎか?
著者が現れるまでは、非常によく理解できた。男性中心の教養主義の崩壊というシナリオで行ってほしかった気がするが、残念ながらそうはならず、新たなパラダイムの提示には至らなかったようである。
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