東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

相模湖,上野原市,檜原村を散策(3/3)

2011年10月19日 | イベント,行事

 山梨県上野原市の棡原(ゆずりはら)から甲武トンネルをぬけると、そこは檜原村です。この村も30年ほど前によく訪れていました。当時、私はこの村北部に住んでいる古老所有の急斜面の畑を借りていました。そこで、狭いながらも雑穀などを栽培していました。そして、その古老からこの地域特有の農法を勉強させてもらいました。今回は、その古老の家ではなく、私が二十歳代の頃に浅間嶺に行く時に上り下りしていた時坂峠に行ってみました。時坂峠を訪れたのは30年ぶりでしょうか。

            甲武トンネルをぬけるとそこは檜原村、渓谷の下り坂


 時坂峠に着くまでの30分位、左右に曲がりくねる道路を通りぬけました。この道路の途中、石の碑文を見つけました。休憩がてら立ち止まって見ると、天保14年の年号があり大きな文字で「寒念仏」と彫られていました。寒念仏とは、お坊さんが冬の30日間、明け方に山野に出て声高く念仏を唱える行事のことのようで、のちには村人も念仏を唱えたとか。この地域は江戸時代に念仏が盛んだったようです。また別の碑文には、明和5年の年号で「百番塔」と彫られていました。

      石の碑文があった通り傍    「天保14年 寒念仏」の碑文 

 檜原村にある払沢の滝(日本の滝百選)に入る道をどんどん登ると時坂峠に出ます。かつて浅間嶺に数馬から登ったときにこの峠から降りたことがあります。疲れてこの峠で休んだときに、峠をぬけていく涼しい風に体が癒されたことがありました。江戸時代など古来、山の道は多くは尾根道を通っていました。沢筋の道は大雨などで崩れやすかったため、安全な時坂峠のような尾根道が主道でした。古来の道の多くが、今では登山道として使われています。

              伐採され植林された、時坂峠近くの山の斜面


 時坂峠をどんどん登って行くと、以前とは様変わりしていました。一番驚いたのは、山の斜面が切り開かれて木々が伐採されていたことでした。伐採されたばかりのはげ山、伐採された後に植林された山などが混在していました。山の木々が伐採されたため、見通しが良くなっていました。都心方面を見ると、なんとか都庁ビルを確認できました。東京タワーらしき尖ったものも見えました。

    明るい木々に囲まれた山道         伐採されたばかりの山斜面
 

 伐採された山を見ていた方とお話をしました。すると「伐採してもお金にならず、むしろ赤字だ。山で働く人の日給が1万5千円近くして、とても黒字にはならない。」、そして「伐採するのは環境のため。」だとか。林業関係の方か、地元の方なのでしょうか。

            伐採されて何もない斜面と、伐採されなかった木々の境面


 伐採された明るい山の斜面道をどんどん登って行くと、懐かしい「峠の茶屋」に着きました。この茶屋前にある椅子に座ると、檜原村の北に連なる山々がよく見えます。そして、この山々に点在する小さな民家が見えました。30年ほど前でしょうか、民俗調査で一軒一軒を訪問したことがあります。そして古老からいろいろなお話を聞くことができました。

     峠の茶屋から見た山々              峠の茶屋、簡易食堂有り
 

 砥ぎ師をしていた古老の話がとても面白かったことを覚えています。今では考えられませんが、明治大正時代の頃、その方はこの檜原村を中心とする山々を歩きながら砥ぎ師をしていたとのことでした。砥ぎ師とは、鎌や包丁など刃物を主に砥ぐことを仕事としている人です。山道を歩きながら一軒一軒を訪問しながら砥ぐ仕事をしていたようです。昔、そんな仕事があったのですね。

                檜原村北部に広がる雄大な山脈        

 山道を歩きながら一軒一軒を訪問するのは砥ぎ師に限らなかったそうです。そのような人々は、村に散らばる地区と地区の情報伝達の役目もあったそうです。そして、注文を受けて届けることもしていたようです。この話を古老から聞いて、中国映画の「山の郵便屋」を思い出しました。かつての江戸,明治時代の日本にも、この「山の郵便屋」に近い役割を担っていた人がいたんですね。

               峠の茶屋から北側に見える山全体


 峠の茶屋ではのんびりと椅子に腰掛けて、檜原村の山々を歩いた思い出をたどりました。何十回もこの村には通いました。そして、この村固有かも知れない雑穀などの種をいただきました。いただいた貴重な種を絶やさないように、毎年のように種をまいては更新しています。
 峠の茶屋で一時間ばかり休むと、もと来た時坂峠を下りました。30年ほど前、この峠沿いには茅葺の民家が沢山ありました。今回その茅葺の民家を期待していましたが、茅葺の民家はたった一軒しか残っていませんでした。残った一軒の茅葺も相当傷んでいました。残念ですが、あと10年もすれば茅葺民家は無くなると思われます。

         残っていた一軒の茅葺民家、茅には草が生え苔むして相当傷む

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 相模湖,上野原市,檜原村を... | トップ | 畑の急斜面を草刈り(1/4) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

イベント,行事」カテゴリの最新記事