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奇跡の教室が目指した結果

2011年08月06日 | 読書
 六月にある雑誌記事を読んで「98歳の立ち姿から教えられる」とこのブログに書いた。
 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/3526519b01ad511a61742fed02509563

 過日、単行本が出ていたので買い求める。その翌日一気に読了した。久々である。その本は

 『奇跡の教室 ~エチ先生と「銀の匙」の子どもたち~』(伊藤氏貴著 小学館)

 「伝説の灘校国語教師・橋本武の流儀」という副題がつけられている。

 橋本は、戦後になって間もなく、中勘助作の『銀の匙』を使い3年間の国語授業全てを行おうと決意したとき、こんなふうに思ったのだという。

 結果が出なかったら責任はとる。それだけは心に決めて始めました。

 新しく何かをやり出す時、ある壁に挑む時、人は「覚悟」をするが、その強さや重さは何で測ればいいだろうか。
 そこに到るまでの道程、経歴、準備は、大きく影響する。「橋本武の流儀」を知るためには、教師になる以前が深く関わっていることは言うまでもない。

 なかでもあの「大漢和辞典」の諸橋轍次の手伝いをした意味は大きいのだろう。むろん学生の手伝いは大辞典に足跡を残さないが、一つの大きな仕事は、また別の大きな一つにつながっていくことを示していると感じた。

 さて、『銀の匙』が使われた授業は中学校で3年続き(その後3年の高校生活がある)30年間というから計5回、およそ1000人がその授業を体験したことになる。
 エピソードとして面白く核心的な部分は、いわゆる団塊の世代を受け持ったとき、先を急ごうとペースを心配する級長の発言をこうたしなめたことだ。

 スピードが大事なんじゃない。

 周囲の速さに自分を合わせなければならない時代が始まっていた頃である。この気概は、物事の本質をとらえていることは、その文につながる一言でわかる。うなってしまう。

 すぐ役立つことは、すぐに役立たなくなります。

 スピード化の時代に、立ち止まって考えたいことである。

 著者が後書きに記していた。

 『銀の匙』の子どもたちの多くが、エチ先生の授業で身につけた力の凄みは、実社会に出て、30歳くらいになって気づいたという。

 その長さの価値をどう思うか。

 橋本実践が生みだした「結果」は、表面上は「東大合格者数の急増」という形で見えていたが、本意はそんなところにはなく、個としての人間の成長にあった。
 橋本は次のように語った。

 「一緒に『銀の匙』を読んだ生徒がねえ、還暦過ぎても、みんな前を向いて歩いている。それが何より嬉しい。(中略)『結果』が出て、よかった」

 憧れの境地である。