昨夜のNHKスペシャルは見入ってしまった。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/110807.html
冒頭に仙台七夕からの中継があった。
そこに登場した僧侶で作家である玄侑宗久は、キャスターに向かってこんな問いを発する。
「祭り」とは「待つ」を語源とする説もありますが、何を待つのだと思いますか?
この語源の信憑性はともかく、実に考えさせられる問いかけである。
番組で取り上げられた、陸前高田、相馬の方々はいったい何を待つために、祭りを行おうとしたのか。
「こういう時だからこそ」という言葉の重みは、実際の現場でしかわからないものだし、映像で映し出された以上に迷いや悶えがあったのだと想像できる。
それらを全て抱え込みながら、動かさねばならなかった「馬」や「山車」の重みはいかばかりだったろうか。
鎮魂という言葉の意味が、二重にあることをはっきりとらえられる映像がそこにあった。
つまり、死者の魂と残された者の魂。
むろん観光客などはいない、建物一つ残っていない陸前高田の道を、「うごく七夕」が光を放ちながらゆっくりと動く様は、あまりに象徴的である。
祭りとはいったい何だったかを、教えてくれる風景だった。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/110807.html
冒頭に仙台七夕からの中継があった。
そこに登場した僧侶で作家である玄侑宗久は、キャスターに向かってこんな問いを発する。
「祭り」とは「待つ」を語源とする説もありますが、何を待つのだと思いますか?
この語源の信憑性はともかく、実に考えさせられる問いかけである。
番組で取り上げられた、陸前高田、相馬の方々はいったい何を待つために、祭りを行おうとしたのか。
「こういう時だからこそ」という言葉の重みは、実際の現場でしかわからないものだし、映像で映し出された以上に迷いや悶えがあったのだと想像できる。
それらを全て抱え込みながら、動かさねばならなかった「馬」や「山車」の重みはいかばかりだったろうか。
鎮魂という言葉の意味が、二重にあることをはっきりとらえられる映像がそこにあった。
つまり、死者の魂と残された者の魂。
むろん観光客などはいない、建物一つ残っていない陸前高田の道を、「うごく七夕」が光を放ちながらゆっくりと動く様は、あまりに象徴的である。
祭りとはいったい何だったかを、教えてくれる風景だった。