すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

祭りの風景

2011年08月08日 | 雑記帳
 昨夜のNHKスペシャルは見入ってしまった。

 http://www.nhk.or.jp/special/onair/110807.html

 冒頭に仙台七夕からの中継があった。
 そこに登場した僧侶で作家である玄侑宗久は、キャスターに向かってこんな問いを発する。

 「祭り」とは「待つ」を語源とする説もありますが、何を待つのだと思いますか?

 この語源の信憑性はともかく、実に考えさせられる問いかけである。

 番組で取り上げられた、陸前高田、相馬の方々はいったい何を待つために、祭りを行おうとしたのか。

 「こういう時だからこそ」という言葉の重みは、実際の現場でしかわからないものだし、映像で映し出された以上に迷いや悶えがあったのだと想像できる。
 それらを全て抱え込みながら、動かさねばならなかった「馬」や「山車」の重みはいかばかりだったろうか。

 鎮魂という言葉の意味が、二重にあることをはっきりとらえられる映像がそこにあった。

 つまり、死者の魂と残された者の魂。

 むろん観光客などはいない、建物一つ残っていない陸前高田の道を、「うごく七夕」が光を放ちながらゆっくりと動く様は、あまりに象徴的である。
 祭りとはいったい何だったかを、教えてくれる風景だった。