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紳助引退を導入にしてみたが

2011年08月24日 | 雑記帳
 朝から絶え間なく報道されているので、今日担当する職員研修の導入にその話題でもと思い、使ってみた。

 「1956年3月生まれで全く私と同じ齢ですが、島田紳助のように私は辞めることはできません。だから頑張らなければと思って、このパワーポイントを作りました」…そんな前振りで二学期開始にあたって「授業の充実」ということで話し始めた。

 その後ちょっとだけ触れたのだが、もう少し準備をしてまとめておけばよかったと思ったのは、その島田紳助の司会ぶりに関わることである。
 ファンではない。どちらかと言えば、喧しいのはきらいだから、側にはいたくないと思うが、そうは思いながら、あの司会術には舌を巻く。笑いのとり方が絶妙だ。

 出演者をイジル笑いである。最近はファミリーと称した若手が対象とされているようだが、かなり広範囲に出演していて、政治等の結構堅い番組にも顔を見せたりするので、やはり説得力そのものが広く認められていると言っていいだろう。

 同じ齢である明石家さんまとは、まったく違う。さんまは笑いを自分に引き寄せるタイプだし、紳助は逆に突き放すタイプとでも言おうか。一種の冷静さと映るのかもしれない。

 検索をしていたら、面白いエピソードを見つけた。

 当初MCとしての地位を確立するために他の司会者を引き合いに出し、「さんまには天性の明るさ、古舘さんには理論の面ではかなわない」とし、他者と比較し分析した結果、毒舌を売りにする司会者としての地位を確立する。ただし、自分の中のルールとして「好きな人の悪口しか言わない」ことを公言し、守っている。

 自身の笑いについても明石家さんまやダウンタウンを引き合いに出し、「さんまは何でもないトークでも爆笑させる力がある。ダウンタウンの笑いは何度見ても笑える二次使用としての力がある。自分の笑いはその時にしか通用しないから瞬発力が必要になる。」と評している。
(ウィキペディアより)


 この自己分析の周到さが、今の地位を築かせたといっていいだろう。
 そして、幅広く実業家として経営に乗り出していることもあるので、やはり衆目を集める才覚があるに違いない。

 芸能やマスメディアの渦中にいて、自分を知り、自分を売り込む…その過程の中でどんな「筋」が必要なのか、我々「素人」にはわからないが、どこかで危ない橋を渡らなければならないのは宿命か。
 あっさりすっきり辞めたように見えるが、内実はどんなものだろう。他人事ながら気になる。

 さて、あっ触れようと思ったのは、いわゆる司会者のタイプで、テレビでもいくつかのタイプに分かれる気がすること。
 リードし突っ込むタイプ。受け入れ返しながら引き出すタイプ、いろいろと分担しながらまとめていくタイプ…たぶん放送の世界でも使い分けされていると思う。
 自分がどんなタイプか早く知り、そこからの道を探っていくのは、学校そして授業づくりとて同じことではないか。