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教師が授業で伝えていること

2011年08月05日 | 雑記帳
 地域にある算数数学研究会が主催して、本校を会場に授業研究会を持った。
 夏休み中であったが3年生5年生が出校し、講師の先生方の授業をうけ、それをもとにした研究協議や講演が行われた。
 (数枚のスナップは本校ホームページで)
http://www.yutopia.or.jp/~miwasho/


 筑波大学の坪田耕三先生の授業はいつ見ても楽しい。
 今回は3年生を相手に「きまりを見付ける」という題材で、同じ数だけのかけ算の答えに規則性があることを気づかせるものだった。
 
 もちろん手慣れた指導で子どもたちは惹きつけられていたが、ちょっと3年生には難しいかなあと感じられた一時間だった。
 それについての検討もされた協議の中で、パネリストの先生がこんな質問をされた。

 先生はどうしてこんな問題にチャレンジさせていくのですか?

 坪田先生はこう応えられた(言葉はやや不正確だが)。

 あることで終わりにしないということを教えたい。増えたらどうなるか、減ったらどうなるか。別の数だったらどうなるか…そういう考えを持たせたい。

 続けてこんなことも仰られた。

 こういう教材を繰り返すことで、先生の価値観を子どもに伝えていく
 
 
 筑波大付属小の細水先生の講演でも、強く重なる点があったと思う。
 冒頭に「授業力」について触れ、その要素として一番に掲げたのは、「どんな子にしたいか」という点だった。それを授業の中で具体化していくために、どんな言動を誉めるか、また教師がどんなふうに問いかけしていくかが決まってくる。きっちりと筋の通った話だと思う。

 「次は、何を書くと思う?」
 「しっかり声を出してみよう」
 「今の言葉はよかったね。それを使って言ってみたら…」
 こうした一言にも宿っている思いがある。
 細水先生はこう語った。

 教師の言葉は「授業観」を伝えている

 スピーカーとしての性能を磨き、内容の精選を行い、工夫を凝らした情報を子どもへ届けようとするとき、学習のねらいは授業者自身をくぐり抜ける段階で、ある面が強調されていく。それを思いや願いと言い換えてもいいだろう。

 目新しい教材、細かな授業技術…それらを開発、習得している方々は意図性がはっきりしていると改めて感じた。勉強になった会だった。