8月4日に本校で算数授業研修会を開いたことは、その翌日にここにも書き残しておいた。
http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/d/20110805
その折の授業(教育専門監の先生が本校5年生を対象に、連立方程式につながる思考を養うことをテーマに行った)を見ていて、私なりに改めて感じたことの一つに「人はモノで動く」という、ごく当たり前のことがあった。
クッキーとポテトの値段を求めるために、子どもたちの思考を動かすとしたら記号・略号を使うのではなく、実物や空き袋を利用したらいいのになあという思いを持ったからだ。
協議の中で、算数専門の方々からもそれに近い発言があったので、そこはやはり妥当なことなのだと思う。
そんなことをまた思い出したのは、次の本を読んで連想が働いたからだ。
『親が子に語る「働く」意味』(鳥居徹也 WAVE出版)
以前、キャリア教育関連の研究会で筆者の名前を見かけたことがあったので手にとってみた。
内容としては「わが子をニート・フリーターにしない」ということを主眼に、様々なデータや人生訓的なことが書かれてある。
肝心のそれらのことより、中にあった「ゴール(夢)」を見つけるために有効として紹介された方法が面白かった。こんなふうに書き出している。
必要なのは三つの質問。
それからペンでも消しゴムでも構いません。三つのモノを用意してください。
質問は「A理想とする仕事、夢」「B死んでも嫌だという仕事」「Cこんな仕事だったらまあいいかという仕事」を訊く。
そして、それぞれをモノに置き換えて、場所に置かせるところがミソだ。
Aの対極にBを置くのはわかる。そして、Cの位置をどのあたりにするか、迷いもでるだろう。
しかし具体的なモノを置くという行為によって、思考が動き出す。
思考をモノに転化するのです。
AとBとCの位置関係が視覚情報で目に飛び込んできます。
そのモノを置く時の指先の触感。
そうした情報も迷っている本人を刺激します。
今の自分は、思考に詰まっていたり、半分あきらめて概念だけであれこれ考えたりすることが多くなっているなあと反省。
書きなぐりのメモなどはたまに使うが、それ以上に半具体物や何かを見立てて思考してみなければと、リハビリ感覚で「人はモノで動く」と再度念じてみる。
http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/d/20110805
その折の授業(教育専門監の先生が本校5年生を対象に、連立方程式につながる思考を養うことをテーマに行った)を見ていて、私なりに改めて感じたことの一つに「人はモノで動く」という、ごく当たり前のことがあった。
クッキーとポテトの値段を求めるために、子どもたちの思考を動かすとしたら記号・略号を使うのではなく、実物や空き袋を利用したらいいのになあという思いを持ったからだ。
協議の中で、算数専門の方々からもそれに近い発言があったので、そこはやはり妥当なことなのだと思う。
そんなことをまた思い出したのは、次の本を読んで連想が働いたからだ。
『親が子に語る「働く」意味』(鳥居徹也 WAVE出版)
以前、キャリア教育関連の研究会で筆者の名前を見かけたことがあったので手にとってみた。
内容としては「わが子をニート・フリーターにしない」ということを主眼に、様々なデータや人生訓的なことが書かれてある。
肝心のそれらのことより、中にあった「ゴール(夢)」を見つけるために有効として紹介された方法が面白かった。こんなふうに書き出している。
必要なのは三つの質問。
それからペンでも消しゴムでも構いません。三つのモノを用意してください。
質問は「A理想とする仕事、夢」「B死んでも嫌だという仕事」「Cこんな仕事だったらまあいいかという仕事」を訊く。
そして、それぞれをモノに置き換えて、場所に置かせるところがミソだ。
Aの対極にBを置くのはわかる。そして、Cの位置をどのあたりにするか、迷いもでるだろう。
しかし具体的なモノを置くという行為によって、思考が動き出す。
思考をモノに転化するのです。
AとBとCの位置関係が視覚情報で目に飛び込んできます。
そのモノを置く時の指先の触感。
そうした情報も迷っている本人を刺激します。
今の自分は、思考に詰まっていたり、半分あきらめて概念だけであれこれ考えたりすることが多くなっているなあと反省。
書きなぐりのメモなどはたまに使うが、それ以上に半具体物や何かを見立てて思考してみなければと、リハビリ感覚で「人はモノで動く」と再度念じてみる。