すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

タイムカプセルの原則

2011年08月15日 | 雑記帳
 のんびりと録画しておいた映画を観た。

 『60歳のラブレター』
 http://eiga.com/movie/53942/

 銀行が主催した企画で、長年連れ添った夫婦の話を集めその中の秀作を映画化したらしい。
 取り立てて良いとは思えなかったが、イッセー尾形と綾戸智絵の夫婦はなかなかであった。

 観ている途中で、ふと思い出したのが「タイムカプセル」のこと。
 この映画の軸になっているのが、30年後の夫に向けた手紙だったので、連想が働いてしまった。

 先週勤務している学校に、今年で二十歳になるという女の子がやってきて、3階の教材室にあるというタイムカプセルを探させてほしいという。職員に聞くと、数日前も来たらしい。
 本町ではちょうど今日15日が成人式で、それに合わせて幹事?が取りに来たということか。
 残念ながら一つの学級分が発見できなかったようだった。

 そういえば、他のいくつかの学校でもタイムカプセルの話題があった。
 前任校でも実施していた。学校周辺では少し危険(いつまでもそこに校舎があるわけでもないし…ということか)がつきまとうので、ある子どもの家の庭を借りて埋めている学年もあったなあ。
 同級会の時に掘り出した学年のことを聞くと、盛り上がっているのは当人たちよりも親たちの方だった…なんていうこともあったりで、エピソードとしては面白い。

 私自身は、このタイムカプセルなるものを残念ながらやったことがない。いや残念ながらということでもないのだろう。結構流行っていた?ことは知っていたが、自分でやろうとも思わなかったし、子どもたちが強い声があったという記憶もないので、興味がなかったのだろう。
 通信や文集づくりに精を出していた自分であったことは覚えているし、その中でも「○○年後の自分へ」と題した文章を書かせている。そんな思いがなかったわけではないだろうが…。

 考えてみると、タイムカプセルのいいところは、その集合性、封印性にある。懐かしいものをそれぞれに持ち抱えてはいるが、それらを一緒に詰め込むこと、そして一定期間、開封できないようにしておくこと。

 写真や文集などと違って、いつでも手にとって見ることができないようにしておくことが肝心なのだろう。それからあまり選択しないで雑多なものを入れておくことがいいだろう。
 だからこそ、その開けた時に濃密な空気感が強くなるのでは…と想像してみる。

 結論(んっ、何の?)。
 タイムタブセルは、きちんと埋めておくこと。学校の教材室なんかに置いておくのは邪道である。
 タイムカプセルは、ひとりで探さないこと。集団で掘りおこす、尋ねることが肝心である。たどり着くまでの道筋こそ醍醐味である。