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見過ごしてきた自分に

2013年07月03日 | 読書
 『滝山コミューン一九七四』(原武史 講談社文庫)

 この著者の名前には見覚えがあった。講談社の雑誌『本』で「鉄道ひとつばなし」という連載を続けている。なんとなくその方面の専門家かと思っていたが、今月号を改めて読むと専門が「政治思想史」とあるではないか。毎月見てはいたのだろうが、関心がないと目は向かないものだ。

 さて、この本は著者の小学生時代に過ごしたマンモス団地の学校が舞台となっているドキュメンタリーである。
 そこで繰り広げられる教育の試みに違和感を抱いた一人の少年、それはまさしく著者自身なのだが、その眼が当時と現在を行き来しながら、真実を求めていく。

 学校教育に携わる一人として、ここに書かれている実践の潮流を知らないわけではない。しかし詳しく語れるほどの知識はない。
 ただ自分に引き寄せてみれば、この本で批評される対象の一つである「水道方式」は、三十数年前の初任の頃の自分の支えとなった一つであったし、遠山啓が大きな存在だったことは否定できない。
 そして組合活動のなかで、全生研の考え方を標榜した研修に何度か参加した記憶もある。
 80年代前半当時、まだ残っていたボロ班、ビリ班という名づけは自分には抵抗が大きかったし、積極的に進めようとは思わなかったが、そのエッセンスは部分的に残っているかもしれない。

 ここで、いかにも中途半端な教師人生を送ってきたことを白状しなければならないが、それらの実践、実践者の変わり目の肝心なところを見過ごしていたのかもしれない。

 教科指導でいえば「水道方式」と検定教科書のタイル(及びタイルもどき)の使われ方の相違はどう解釈するのかとか、児童会などで「選挙」という方法がとられなくなった意味を複層的にみるとどうなるのか、とか。
 こうした些細に見える変化への注意深さを持てなかったのは何故か、今なら少しは自己分析できる。

 さて、著者の過ごした年代、地域条件等…複数の要素が絡み合って、典型的な姿を見せたのが、この「滝山コミューン」だとして、問題はけして小さくないその流れと同様のものが、全国各地にどの程度影響を及ぼし、どんな功罪をもたらしたか、である。

 歴史的な検証は行われているのかもしれない。
 しかし、著者以外の多くが当時をほとんど記憶していない現状が何を語っているか。
 それ自体はよくあることで、もっと目を凝らさなければならないのは、記憶していない多くの元小中学生が、どこにその痕跡を残しているか、ということだろう。
 おそらくこの語りつくせない命題は、教育の意義そのものだ。

 集団と個の適切な関係を築く。
 目標として口に出すは容易い。同時に困難であるから現実には…と言い訳することも容易い。
 私達現場にいる者はその結果を見るのでなく、過程をつくりだすことしかできないのだという覚悟、自分の信念がなければ子どもには響かないが拘っていては姿を見失うという自覚…それらを時々口にしてみる大切さを今思う。