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努力についてさえずる

2013年07月18日 | 雑記帳
 いつの頃からだろう。「努力」という言葉をあまり見かけなくなったのは…。年に数度通知表の所見をみているが,その文字を見かけるのは数えるほどと言ってよい。時代とともに使われなくなった気がするが,努力する子がいなくなったわけではあるまい。口にするとちょっと恥ずかしい雰囲気を誰かが作ったのか?


 愛読している橋秀実の連載『とかなんとか言語学』の第19回のテーマが面白い。「才能」と「努力」。冒頭に「才能は人心を惑わす」と記され,前半は才能について語られる。才能は「できちゃう」ことを表しているが,できちゃったで終わるわけがない。才能は放置されず,「努力」が求められるのだという。


 ここからが興味深い。橋曰く「つまり『努力』とは道徳なのである」「早い話,『努力』とは不自然に動くということだ」。わかる人は10秒でこの意味を呑み込めるだろう。努力を伴わずに行った行為など道徳的価値はないのである。自然にできちゃった人を不自然に導く。それでかえってできにくくなったりもする。



 「そもそも『努力』は字面からして「力」が重複しており,無駄に力を込め過ぎる印象がある」というのも頷ける。短距離走で腕に力を込めて振っているような感じだ。それでは最大限の力を発揮できない。どこで脱力するか,それが重要なことは今や常識。となると,いかにも厳めしい「努力」は遠ざけられるね。


 しかし,努力している人間が報われない世の中はおかしいし,それは譲れない。上手な努力,下手な努力という言い方は,いかにも評論家風なイメージがつきまとうが,報われるような努力の仕方がきちんと広まることは大切だ。それを先導していくべき方々…どうなんだろう。貴方達の「努力」は伝わっていますか。