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「みがく」はそこから始まると

2013年07月25日 | 雑記帳
 今年はあまりテーマを絞り込まなくともいいのではないか…などと相談して「授業力をみがく」という言葉に決めたのは5月頃だったろうか。

 8月2日の会が近づいてきて改めてこのテーマを見直すと、なんだほやっとしすぎたかと不安が出てくる。
 もちろん講師の照井孝司先生、堀裕嗣先生のお二人の力量は文句なしなので、内容面は一つの心配もしていないのだが、受けとめる側(まあ自分のことなのだが)の構えはしっかりしているのか、と思ってしまう。

 「授業力」については何度か書いているはずだなあ、と自分の集約をめくってみた。
 前任校では「授業力向上セミナー」と銘打って外部講師をお招きし、何度か研修会を催した。しかし「音読」「聞くこと・話すこと」などと個別のテーマが主だった。


 遡って、その前の学校ではどうか…と見ると、平成6年の秋に上條晴夫先生をお招きして「授業力の向上」というどんぴしゃりのテーマを掲げて実施している記録があるのではないか。

 ふむふむ。
 当時の職員を中心とした参加者の感想をまとめながら、最後に私が1ページほどの文章で総括するという形でまとめたものだった。
 三つの項目立てをし、次のような小見出しをつけていた。

 授業力を向上させるには「ふりかえり」が必要である

 授業の型を意識することは、「育てる学力」を意識することである

 授業行為の意味づけを探ると、ポイントが見えてくる


 ちょっと漠然しているが、上條先生の講話に正対したまとめだったと思う。


 もう少し遡ってみると、教頭時代に研究紀要のあとがきとして、当時(03~04年頃)教育雑誌等に流行語のように登場していた「授業力」を取り上げて書いていた文章を見つけた。

 そこでは広義の解釈と狭義の解釈があるとし、狭義に近い「指導技術力」に関わるあれこれとして「授業評価指標」「授業診断シート」「授業技量検定」などの考え方を記している。
 羅列的な構えによる見方の硬直さを不安視しているところなど、我ながら思い切って書いたではないか。
 ただ、一つ一つの授業行為とそれを支える要素の意識化が授業力向上の鍵だとまとめたのはいいが、その後ピックアップが継続されなかったのは怠慢か。


 そのページで広義の授業力解釈の例として、志水廣氏の言を紹介している。

 教材把握力×子供把握力×指導技術力×精神エネルギー

 そういえば、と思いだしたのが、今回の講師である堀先生が著書に書かれていたこと。

 授業づくりには教師の仕事のすべてが凝縮されているのです。

 今回の講座、参加者がこの一文を、どれほどの実感を持って受け止められるか。

「みがく」はそこから始まると結論づけた。