すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

寒天でつながる

2013年07月26日 | 雑記帳
 県が発行している『のんびり』という季刊誌(フリーマガジン)を愛読している。
 No5は「寒天」の特集。

 これはもしかしたらあのケンミン番組で紹介された「サラダ寒天」の流れかなと邪推したが、読んでみるとそうではないらしい。

 創刊号から「秋田のスイーツ」として特集が組まれ、なんと「寒天博覧会」なるものを企画していたので、結構骨太な特集である。
 第2回の寒天博覧会の様子から、寒天の産地である長野の企業取材、そして読みどころは「寒天を流すということ」と題された第3章のインタビューだった。

 寒天博覧会の実施を「生きていてよかったです」と受け止めた照井律さんという方へ、いわばその「寒天人生」について語っていただいている。
 農家に生まれ、小学生の頃から家の手伝いや親の看病にかかりきりだった律さんの、食に対する興味関心が寒天と結び付く景色が見えてくるようだった。

 秋田では「寒天をつくる」では「ながす」という表現が使われていたが、それは涙や辛さを流すことに通ずるという件は心に沁みた。地域や時代を背負ってきた食文化の一つであることには違いない。
 編集者が「辛さ、厳しさを美しく昇華させたものが寒天」というまとめは、やや美しすぎるような表現だが、そういう面があったことは否定できない気がする。


 思い出すのは我が祖母の羊羹づくりである。

 成長するまではそんなことは感ぜず、その味に目覚めた頃はもうあまり作れなくなっていた。しかし幼い頃、じっと一点を見つめ鍋の餡をかき混ぜる横顔はかすかに思い出せる。
 その絶品の味は、どこかにその暮らしが昇華されていたと言えるだろう。


 さて、もう一つ感動的なのは、生産地長野の会社から熊沢さんという方が見えられて、最後にスピーチをしたことだ。

 天然寒天と工業寒天の二種類を作っているが、その作業には大きな違いがある。伝統製法はなんと170年間変わらないのだという。

 秋田は天然の棒寒天を使う率が高く、その感謝を述べながら、泣いている。
 熊沢さんは最後にこう言う。

 本物の価値観っちゅうのを大切に感じてもらえる人がいるっていうのは自分にもすごい支えになります

 こういうつながり方は、文句なくいいと思う。
 『のんびり』の企画を今後も応援したい。