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メモ、納得やら憤りやら

2015年06月11日 | 雑記帳
 机の中にあった一冊のメモ帳。もう最後まで使い切っている。
 相変わらず、いつの、誰の言葉かも明記されないものが多く、使い物にならない。
 しかし、書きつけた言葉を見ているうちに思い出せるものもある。

 集団登校は社会の一歩。助け合い。

 これはPTAの講演会で招いた、ある企業人の言葉だった。
 集団登校に限ったことではないが、繰り返される日常だからこそ、子どもにとっては重要だ。
 しかも多くの場合、自分が低学年として面倒を見られる立場から、段階を経て面倒を見る立場へ変わっていく。明らかに社会の縮図的な意味合いも持っているだろう。


 関係づくりの第一歩は相手への関心。
 肯定的枕詞→君もわかっているだろうが~
 うまくいっていた時、いい過去をふりかえらせ、イメージづくりを


 これは、特別支援関係の講演を聴きにいったときのメモだ。
 未整理なままにしておくから、実践に結び付かない、理解が深まらない。反省しきりである。
 メモは材料だから、どこかに活かさなければ…。


 聞いた言葉を書きつけた後に、自分の考えを勢いで書いた跡もある。

 中長期的な費用対効果より、短期的な費用対効果を考えて

 これは確かある会の冒頭の挨拶で、エライ人が述べたことと記憶している。
 このことに関して、次のように書きつけている。

 こんな言葉を堂々と言っていいのか
 費用対効果という、可視にほんろうされている
 誰のための効果なのだ


 今に始まったことではない。
 成果とか評価とかスピード化という言葉の背景には、常にそのことがあったのだ。
 しかし、教育の現場にある、子どもたちを目の前にしている私たちが、それをあからさまに口にすることは、何のプラスにもならない。
 憤りを感じた。

 政治の世界で進みつつあることとも似通っている。
 そんな風潮をなんとも思わなくなり、例えば「チーム」という言葉で自分もその一員に加えられていくことを、警戒しなければならない。