講談社の『擬音語 擬態語辞典』を見ていたら、巻末に俳句や短歌が載っていた。
そこに、坪内稔典の例の甘納豆の句があった。
この句を初めて見たときは、えっ、ええーーっと思ったものだ。
三月の甘納豆のうふふふふ
俳句に詳しい人はご存じだろうが、これはシリーズもののようだ。
つまり「甘納豆」シリーズ。この辞典にはもう一つ載っていた。
ほろほろと生きる九月の甘納豆
残りの月も当然あって、こちらに一年間分が紹介されてある。
ところで、どうして甘納豆なのか。
食べ物としての甘さ、形状、大きさ、固さ。
そして「アマナットウ」という発音からくる響き。
人が食べるときのシチュエ―ション…といった要素が絡み合った選択なのだろう。
これが同じ甘いものでも「かりんとう」では、ちょいと様相が異なってくる。
戯作しながら、感覚を確かめてみよう。
三月にかりんとう食べうふふふふ
ぴんとこない。
三月にかりんとう食べイテテテテ
虫歯の句か。
かりかりと生きる九月のかりんとう
こういう単純な真似ではイメージが結び付かない。
よって、少し発想を変えてみる。
かりんとうと甘納豆を比べたとき、形状、触感、味覚等々、それによって何が喚起されるというのか。
それは堅さ、ざらつき…そうか生きる厳しさか(笑)。
かりんとう齧れば三月も末
口の中こなごな九月のかりんとう
なんだか、山頭火か放哉みたいだ。しかも甘ったるい。
そこに、坪内稔典の例の甘納豆の句があった。
この句を初めて見たときは、えっ、ええーーっと思ったものだ。
三月の甘納豆のうふふふふ
俳句に詳しい人はご存じだろうが、これはシリーズもののようだ。
つまり「甘納豆」シリーズ。この辞典にはもう一つ載っていた。
ほろほろと生きる九月の甘納豆
残りの月も当然あって、こちらに一年間分が紹介されてある。
ところで、どうして甘納豆なのか。
食べ物としての甘さ、形状、大きさ、固さ。
そして「アマナットウ」という発音からくる響き。
人が食べるときのシチュエ―ション…といった要素が絡み合った選択なのだろう。
これが同じ甘いものでも「かりんとう」では、ちょいと様相が異なってくる。
戯作しながら、感覚を確かめてみよう。
三月にかりんとう食べうふふふふ
ぴんとこない。
三月にかりんとう食べイテテテテ
虫歯の句か。
かりかりと生きる九月のかりんとう
こういう単純な真似ではイメージが結び付かない。
よって、少し発想を変えてみる。
かりんとうと甘納豆を比べたとき、形状、触感、味覚等々、それによって何が喚起されるというのか。
それは堅さ、ざらつき…そうか生きる厳しさか(笑)。
かりんとう齧れば三月も末
口の中こなごな九月のかりんとう
なんだか、山頭火か放哉みたいだ。しかも甘ったるい。