すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

たまには戯作遊び

2015年06月09日 | 雑記帳
 講談社の『擬音語 擬態語辞典』を見ていたら、巻末に俳句や短歌が載っていた。

 そこに、坪内稔典の例の甘納豆の句があった。
 この句を初めて見たときは、えっ、ええーーっと思ったものだ。

 三月の甘納豆のうふふふふ

 俳句に詳しい人はご存じだろうが、これはシリーズもののようだ。
 つまり「甘納豆」シリーズ。この辞典にはもう一つ載っていた。

 ほろほろと生きる九月の甘納豆

 残りの月も当然あって、こちらに一年間分が紹介されてある。


 ところで、どうして甘納豆なのか。
 食べ物としての甘さ、形状、大きさ、固さ。
 そして「アマナットウ」という発音からくる響き。
 人が食べるときのシチュエ―ション…といった要素が絡み合った選択なのだろう。


 これが同じ甘いものでも「かりんとう」では、ちょいと様相が異なってくる。

 戯作しながら、感覚を確かめてみよう。

 三月にかりんとう食べうふふふふ

 ぴんとこない。

 三月にかりんとう食べイテテテテ

 虫歯の句か。

 かりかりと生きる九月のかりんとう


 こういう単純な真似ではイメージが結び付かない。
 よって、少し発想を変えてみる。

 かりんとうと甘納豆を比べたとき、形状、触感、味覚等々、それによって何が喚起されるというのか。
それは堅さ、ざらつき…そうか生きる厳しさか(笑)。


 かりんとう齧れば三月も末

 
 口の中こなごな九月のかりんとう



 なんだか、山頭火か放哉みたいだ。しかも甘ったるい。