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疥癬虫が脳についてる

2015年06月27日 | 雑記帳
 調べ物をしていて、知り合いの方が書いた詩の一行に「慥かにとらえてきた」とあった。漢字が読めない。調べてみたら「たしか」。広辞苑も「確か・慥か」と併記されている。意味の「二」として「慥」が置かれ、「<自分の記憶によれば>まず間違いなく」と書かれてある。「心」に「造る」だから納得できる意味だ。


 ところが明鏡では、意味の「二」は「断言はできないが、たぶんそうだろうという気持ちを表す」とある。あれあれ?トーンダウンだ。大漢和にあたる。そこでは「そそくさと急場をつくろう気持ちのこと」などと身も蓋もないことが書かれてある。あれあれ、そうすれば、件の詩の内容もなんだか考えが曖昧になる。


 「たしか」には「確か」と「慥か」があることは確かだ。通常は圧倒的に「確か」が使われている。「慥」は一般的でなく、「こしらえる」という意味もあるから限定的だ。「たしか」という意味は幅を持っていて、「間違いない」から「たぶん・おそらく」まである。伝える時の声のニュアンスで表現していることが多い。


 会議資料に「疥癬」という言葉が出てきた。読めない…隣も即答してくれない。質問したら「かいせん」と読むらしい。「癬」という字は「白癬」の言葉があり、水虫関係なのでわかっていた(苦笑)。しかし、この「疥癬」とはいかなる病気か。辞書では「伝染性皮膚病。指間、腕(中略)ひどくかゆい」この程度である。


 「疥」が気になり、頼みの大漢和辞典へ。「介」が「わける、境界線をつくる」意味であることはわかったが、これも皮膚病の記述が圧倒的である。疥癬虫が寄生するらしい。少し興味がわくが、疥癬の最後に書かれた意味で、我に返る。…「とるに足らない災いや、心配ごと」。疥癬虫が脳についているのかもしれない。