すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

薄っぺらな伝統を味わうより

2018年01月08日 | 雑記帳

(20180107 今年の初焼きそば~横手風)

 地元ラジオ放送局で「七草粥」の話題が出た。ずっと以前に何度か食べた記憶はあるけれど、そもそも小さい頃から馴染みがないので、いつの間にか見過ごしている習慣だ。まあ括って言えば「行事食」。国でも例えば農林水産省が作る「子どもの食育」サイトの中にページがある。もちろん、その重要性は認めるが…。


 正月のバラエティで「天海祐希&石田ゆり子のスナックあけぼの橋」があった。複数のゲストとの話題の一つが正月料理やお雑煮。青森出身の松山ケンイチが、他の出演者と違って伝統的な食卓ではなかった事がネタにされ、少し嘲笑のニュアンスも感じられた。地域による違いはまだ根強いし、少しひっかかりを覚えた。


 ハレの日にいただく料理の意義は、飽食と言われる世の中にあっても大事にしたいものだ。しかし現状はどうも、売らんがための盛り上がりのような状況になってはいないか。この国の伝統的行事でないクリスマスやハロウィンなども一環にある。食文化が拡がることは悪くはないが、商売の部分だけが肥大している。


 子どもの食育を考える時「家庭」に期待することが徐々に難しくなっている現状は理解できる。だからある意味「行事食」をポイントにし学校給食や食産業が力を入れることは仕方ないだろう。しかし「心に残る味」といった時にイメージできるのは、食事そのものより作る過程、一緒に囲む場とは言えないだろうか。


 味噌汁、卵焼き、カレーライス等ごく一般的な食べ物にある「家庭の味」。家独自の味覚を感じるのはどの世代までか。しかし個人差はあっても我が家の味と言える料理が一つか二つはきっとあるはず。お仕着せの行事食で薄っぺらな伝統を味わうより、マンネリでも我が家の味が染み込む方が価値は高いように思う。