すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

空の見え方を心に訊く

2018年01月30日 | 読書

(20180123  冬陽の空~大雪が近づいた日の朝でした)

2018読了11
 『なにごともなく、晴天。』(吉田篤弘  毎日新聞社)


 「肌が合う文章」という言い方は変かもしれないが、まさにそう言いたくなる小説だった。今年は、この人の作品を読もうと決めたことが間違いではなかったなあ。鉄道高架下に並ぶ商店街の売れない骨董屋で働く女性が主人公。店の上にある部屋で暮らし「なにごともなく」日常を送る彼女とその周辺の人が描かれる。


 大きな事件が起こることはないけれど、小説の体を成しているのは確かだ。それは、皮肉のように「晴天通り」と名づけられた商店街から「見えない晴天」を見上げている彼女の気持ちが、最初と最後では明らかに違うから。物語とは当然そんなふうに作られていくだろうが、つくる佇まいは、次の一節に出ているか。

 「どうあがいても手に入らないもの、自分とは無縁と思ってきたものが、ふと気づくと自分の手もとにあったり、あるいは、すぐそばに寄り添うように立っていたりして、人生というのは、先に進むほどに良くも悪くも意外なものをもたらしてくれる」

 そう考えられる布石のような一節がこれではないかと感じる。

 「この世には大なり小なり、人の数だけ『じつはね』があると思った方がいいのかもしれない。なにごともなく平穏無事な日々というものは、多くの人たちの『じつはね』で成り立っている」


 そんな視線で窓の外を見やれば、降り続く雪の向こうの家並みにも「じつはね」がいっぱい詰まっている。この話では登場する友人サキ、ベーコン姉さん、そして元探偵の八重樫さん…らの境遇も語られる、実はそんなに突飛なことではない「じつはね」がほどよく絡まり、人生の意外なものの手触りが感じられてくる。


 「探偵」とは魅力的だと思ったことがある。しかし実は「じつはね」を探る仕事だ。苦い作業とも思える。そう考えると、世の中にある「隠し事、やせ我慢、沈黙」こそが平穏を保つ要素とも言える。それらとどう折り合うか、もしくは打ち破って踏み出すことが、個の選択になる。空の見え方はその反映と言ってよい。