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闘将は、星になって

2018年01月07日 | 雑記帳

(冬にも実をつける)

 今さらではあるが、「星野仙一巨人監督」を一度は見てみたかったなあ。それを許さない人が多くいたことから実現はしなかった。しかし本人が、原辰徳前監督や高橋由伸監督を励ましている言葉を読むと、明らかに一つの熱い願望はあったように感じる。世代的に「巨人」の響きが野球の象徴でもあったからだろう。


 「闘将」という形容がこれほど似合う人はめったにいない。我々が目にできるのは画面に映し出された特定のシーンでしかないが、それでも表情や醸し出す雰囲気は独特だった。中日に始まり様々な請われ方をして、あの13年の楽天日本一に結びついたが、あれはプロスポーツ界の紛れもない輝きの一つに数えられる。


 配信されたネットマガジンの中に【追悼】闘将・星野仙一 山際淳司が描いた素顔を見つけた。「メルセデスにて」と題された短編は、稀代のスポーツライターであった山際が、星野の運転する車内で会話したことを鮮やかに切り取った。中日監督として優勝した年、まだ若々しさはあるが本質は全然変わっていない。


 「理想の上司」という形容も一時期された。これは三菱電機の実施データだが7年連続で1位という記録がある。人心掌握に優れているイメージがあり「是々非々を徹底的に」「怖さ7割やさしさ3割でちょうどいい」といったフレーズも有名だ。しかし一番なのはやはりその先頭を走る気力、覚悟に尽きるのではないか。


 優れた指導者の教育論はシンプルだ。星野は、かつて作家重松清のインタビューに応え、心情をこう吐露した。「今の日本の教育は、精神的にも肉体的にも鍛える、我慢させるという時期がほとんどありませんよね。それで、社会人になって初めて『悔しさを我慢しろ』といっても、そら無理ですわ。」…それでも貫いた。