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「まるごと好き」になる人

2018年01月26日 | 読書

(20180126 厳冬風景~今朝の車庫のマブ)

 もう旧い実践だが、工藤直子の詩授業は私にとって一つの定番だった。当時多くの人が実践したと思うが、最初に「のはらうた」の詩を紹介したときの、子どもたちの笑顔と喰いつきのいい眼差しは今でも覚えている。「おれはかまきり」なんか最高だったなあ。「おう なつだぜ おれはげんきだぜ」と真冬に呟いてみる。

2018読了8
 『まるごと好きです』(工藤直子 ちくま文庫)


 85年刊なのでずいぶんと古いエッセイ集である。著者の講演を二度聴いたことがある。最初は二十数年前、二度目は5年前。どちらも失礼ながら「関西のおばちゃん」という印象。ある意味でその訳がわかる一冊とも言える。台湾生まれ、転校を重ねた小中時代、そこで培った他者との接近の仕方が人間性を形作った。


 転校したら「お絵かき」を始め周囲の興味を集めようとする。それをきっかけにどんどん友達を増やした。「お話」も一つのツールだった。「八方美人心配性」だったという高校時代、友から「あんたの仲良し好きにはまいった」と笑われるほどだった。反面、毎日の日記を「陰の友だち」としてひたすらに書き続ける。


 「のはらうた」に見られるような感性は、幼い頃の環境に強く影響を受けたようだ。動植物だけでなく、石にも熱中した様子が書かれている。興味深い一節がある。「文を書く方法に、自然などを『擬人化』するというのがあるが、わたしの場合、むしろ逆に、人間を『擬自然化』してとらえているという気持ちが強い


 「人間好き」と語る著者の創作に人間が登場しない訳をそんなふうに語っている。樹や鳥や虫の詩を書くとき、著者は「なってみる」のだそうである。擬人化、擬自然化どちらの言い方をしようと、いかに深く入り込めるか、その一点に尽きる。創りあげる観念のために「まるごと好き」になる体験が出発点に間違いない。