すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

彼女はいつもトホホと思う

2018年01月12日 | 読書

(20180112 いやあ寒い朝でした。凍みつく外灯)

2018読了3
 『人間自身 考えることに終わりなく』(池田晶子  新潮社)


 5冊ほど並んでいる単行本から再読の手始めに選んだ。亡くなる前年から死の直前までに、週刊誌や月刊誌へ連載された文章が中心だ。今から12年近く前、取り上げられている世相や事件等は「青少年犯罪」「北朝鮮」「天皇の発言」「政治家の失言」等々がある。結局、いつであっても彼女の発言は本質しか見ていない。


 例えば北朝鮮問題。「かの国の言動をもって、正気ではない、常軌を逸していると非難するこの国の我々は、非難できるだけの正当な資格があるのだろうか」と問いかけ、我が国が「正気」と名のる資格を得たのかと畳かける。思想上の問題ではなく、あらゆる国家が、国家であることで「すでに必ず狂気」と断言する。


 ただ「国家という狂気」ではなく、存在するのは一人一人の人間の狂気。「集団という観念でしかない存在に、自分が帰属していると思い込む。ここに狂気のモトが発生する。国への侮辱は、自分への侮辱である。かくして狂気は増大してゆく。この構造は、いつの時代も、どこの国でも、やっぱり大して変わっていない


 歴史認識が貧弱でもこの言には頷かざるを得ない。また「技術は技術として存在したと同時に、必ずその利用を意味している」と核についても言及する。さらに、今「机上にあるボタン」に目をつければこの言葉が響く。「やっていいことと悪いことのけじめは、外になんぞない。倫理は内在的なものでしかあり得ない


 では、いったい私たちはどうすればいいか。…他者に対して具体的な答えを求める者ばかりだ。彼女はいつも「トホホ」と思う。その答はいつの場合も本の中に言い尽くされている。つまり「本当に必要なことを、誰も知らない」「自分が知らないものを生きるのが人生である」ゆえに「知らないからこそ、考えるのだ