すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「悩まないで、考えろ」の実際

2018年01月17日 | 読書
 娘が小学校高学年の頃だった。『考える練習をしよう』(晶文社)という本を読むように奨めたことがある。もう書棚にはないがロングセラーなので出版社にページがあった。その目次を見ただけでも今さらながら「考えること」の多様さに気づく。改めて「考えること」自体を意識する時間は、とても貴重だと感じた。



2018読了5
 『考える日々Ⅱ』(池田晶子 毎日新聞社)


 この一冊も相変わらずの筆致で綴られている。著者はいわゆる「哲学エッセイ」という形容で世に出てきた?人だが、「エッセイ」という語の意味に触れている章があった。モンテーニュの「エセー」がそのもとであり、字義は「試み」もしくは「試論」だという。「そこには実際の見聞は必ずしも必要でなく」と言い切る。


 「エッセイを書くためには、思考と言葉があれば足りるわけで(略)思考は自分自身の中に、いくらでも新しい『ネタ』を発見してゆける」と堂々としたものだ。日本では「身辺雑記」の意味合いが強く、どうしても体験や時事など見聞きした「ネタ」が必須とも言えるが、彼女の場合の優先順位は低い。とは言うが。


 この一冊で一番面白く読めたのは、所用で出かけた北海道で釧路湿原に立ち寄った時のこと。終点駅で、帰りの便と滞在時間のことで悩んでいる著者に、車掌が「悩まないで、考えなくちゃ!」といった件は微笑ましい。「悩まないで、考えろ」は著者にとっての常套句、前日の講演でも人々を前に言い放った言葉だった。


 助言された著者は決断しハイキングに向かう。エピソードの面白さは、「悩む」と「考える」の混同をせぬように自ら口にしても思うに任せない現実の展開ゆえに、格別に感じる。だからこそ著者の使う「考える」つまり「精神がその本質において自身を洞察する」が強く響くのだ。本質とは、生の感覚に正直なことだ。