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見世物に必要な見物とは

2018年01月29日 | 雑記帳
 大相撲ファンを気取っていたが、栃ノ心の出身「ジョージア」を米国のジョージア州と勘違いしていたのは、我ながら情けない。「グルジア」なら知っていたのに…と言い訳するのもみっともない。ともかく絶体絶命状態だった初場所の主役に躍り出たこの怪力力士には気力がみなぎっていた。他の不甲斐なさが目立つ。


 今場所の特徴的なのは、連勝連敗が目立ったことか。一人横綱となった鶴竜が典型的だった。中盤から失速した力士も目立ったし、逆に盛り返した者もいた。技術的な点よりメンタルの波を感じたのは私だけだろうか。番付下位の入幕組が頑張った。横綱や人気力士が次々欠けるなかで、沈滞したムードを救ってくれた。


 大きく負け越し次が心配な本県出身豪風が、23日付の新聞インタビューに寄せたコメントが渋かった。「毎場所毎場所、時間は過ぎていく。年は重ねていく…経験がありますから。勝った負けたで心が揺れているようでは、今の自分はいない」。記事は「ベテランの自負」とまとめていた。心揺れる者は噛み締めたい言葉だ。


 それにしても「四横綱時代」と華やかに喧伝されたのは一体何だったか。故障者の続出、場所外での不祥事…文化としての大相撲の衰退は明らかであり、興行面の好調さが逆に大きな不安を覚えさせる。大相撲は「見世物」ではあるが、一番の見物(みもの)が個性ある力士たちの取組であるという体制を築いてほしい。


(わずか八ヶ月前の国技館前…撮っておいて良かった)