すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

代替されない構え

2018年01月15日 | 雑記帳
 犬は苦手だがアイボは興味あるなあ…と思いつつ、ふと気になったのが表記のこと。以前はたしかAIBOだったはず。最近はaiboとしている。理由はあると思うが、今だと最初にAIとつくと、エーアイと言ってしまいがちなことは確かだ。AIの文字を目にしない日はない。いったいどこまで…とある記事を思い出した。



 「AIに代替されない職種10」というコラムがあった。と言っても印象や雑感ではなく、野村総研、オックスフォード大学などの研究成果をもとにした報告である。601の職業から算出したとある。AIによる「代替可能性」が66%を超えた職業についている就業人口は現在49%と出ている。では可能性が低い職業とは…。


 提示されたなかでは「代替可能確率0.20%」がバーテンダー、次が0.36%で医師、0.40%でプロデューサーとなっている。当然詳しい調査検討データはあるのだが、誌面にざっくり示されているのは、「座り作業」「他者との関わり」「影響度・責任」という代替を阻む3つの指標の評価である。信頼関係の重要度が大きい。


 そして確率で4番目に低いのが「教師」、0.75%である。その欄のコメントには次のような文言がある。「知識を教えるだけでなく、児童・生徒それぞれの心情やモチベーション管理、それぞれの適性に合った進路のナビゲーション能力が求められる」。ビジネス誌らしい語が並ぶ。しかし言われてみればもっともなことだ。


 小中学校の多くは今日から三学期。慌ただしい日々がまた始まる。その中で、教師が「ナビケーション能力」を発揮するのは別に進路と限ったことではない。授業そのものに内包される。一人一人に位置を知らせ、速度を示し、方向を指す…緻密さだけならAIが勝るだろうが、生の心身で感性を揺さぶることは出来ない。