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もっと、コチョガシェ!

2018年10月12日 | 読書
 『秋田のことば』に見出しには「こそくてぁ・こつぁくでぁ」が載っているが、自分としては「こちょくしゃ」が一番近い。つまり「くすぐったい」。以前はその「コチョコチョ」したりされたりする遊びをよくしたものだ。以前に比べそんなふうに触れ合う頻度は下がっているような気がする。親子でも友達同士でも…。


2018読了97
 『子供の「脳」は肌にある』(山口 創  光文社新書)



 よく特定の身体の部位を指して、第二の脳や心臓などという言い方をすることがある。またこの新書にも載っているが、移植した臓器が記憶を持っていたという事例があることも聞く。それらに通ずるこの書名に象徴される考え方は、目新しい知見ではないが、同時になんとなく軽視したり、忘れがちになったりする。



 冒頭の問い「子どもを『頭』『体』『心』の三つの部分に分けるとすると、どの部分から優先的に育てたいと思うだろうか」に真剣に応えようとするとき、この「子どもと肌」というテーマはかなり重要な手がかりとなる。体が知的活動を促し、心は体験を通して作られることは疑いなく、この順番は間違えられない。


 体育てを第一とし、核となる「肌」に目をつけた論は納得できた。「肌が合う」という慣用句が示すように肌感覚は「性格」と言えるかもしれない。また育児や性格形成に肝心な「なでなで」「スキンシップ」について各種データを紹介しながら、改めてその有効性を強調する。「肌は露出した脳」という表現は印象的だ。


 学級担任時代の反省の一つに、あまり子どもと遊べなかったことがある。その代替ではないが、中低学年を持った時は直接身体的接触がある行為を意識的に取り上げていた。さよなら握手、誕生日等の肩車、くすぐりゲーム…今でも覚えていると語ってくれた子もいた。皮膚接触の養育価値をもっと大きく捉えたい。