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「読解力」の前にすること

2018年10月09日 | 雑記帳
 久しぶりにビジネス雑誌を購入。特集「ビジネス本 総選挙」に惹かれたわけではない。立ち読みでめくった目次にあった対談「文章が読めない子、新聞を読まない人の末路(新井紀子×佐藤優)に興味を持った。わずか4ページしかなかったが、そこで語られる警告は胸に迫る。



 AI時代の到来は社会に何をもたらすか。まず新井は「生まれたときからAIの判断と推薦によって生きることになる世代」を「AIネーティブ」と名付けている。そういう子どもたちが育ってくると考える。佐藤はそれを受け「AIは統治者にとって非常に有利なツール」と断じる。


 「統治者側の子どもたちには、そういったものには一切触れさせない一方で、統治される側のほうにはAI時代というかたちで浸透させていく」と続けた。AIが動くためのデータを「客観的で公平」だと思わされる危機感を、私たちネット利用者はどう把握し判断していくべきか。


 「GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)」と資本主義の関わりも実に面白かった。このままのバーチャルな進み方は資本主義、国民国家を滅ぼすという認識は、遠からず「対決」が始まる予想にもつながる。そうなった時、飼い慣らされた心身で耐えられるか。


 新井が「読解力」重視を強調していることは以前から知っていたが、今回の方がより本質的で説得力がある。「子どもにAI人材になろうとか、プログラミングをやろうとか言う前に、まず類人猿にすることです」つまり言語習得以前に様々な経験をさせ、それからヒトにすることだ。