すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

名著を20年後に読む

2018年10月14日 | 読書
 テレビコラムの名著。20年前の発刊で、その頃に読んではいなかったと思う。観ていない番組は多いが、取り上げられたタレントはほとんど知っているし、今も芸能界で生き残っている者が少なくない。著者を「disる」文体と揶揄する人もいた。確かにと頷きつつ、それ以上の哲学的とも思えるフレーズに惹かれた。


2018読了98
 『テレビ消灯時間』(ナンシー関 文藝春秋)



 そう言えば芸能人の運動会やスポーツ№1を決めるバラエティなどよくやっていたなあ。その結果二流的存在が選ばれたりする番組を、ナンシーは次のように括っている。「筋書きのないドラマは必ずしも『筋書き以上のいいところ』に着地するとは限らない」うん、なるほど。期待を裏切る現実への覚悟が問われている。


 それゆえか、当時はさほど目立たなかったリアクション芸人等が勃興してきたか。「お約束事」をそれなりに、あるいは少しエフェクトさせて着地させるようなことが流行っている。それってテレビの世界だけではなく、政治や日常生活にも浸透している気もしてきた。陳腐な言い方だがメディアは世間の鏡と言える。



 我々世代には懐かしい水野晴郎の映画解説。25年続けた「金曜ロードショー」の解説者を降りたのがその頃。もちろんナンシーは全然評価しない。返す刀で当時でも長寿であった「笑点」を斬る。「長寿番組だけが到達し得る、無意識・無自覚による無意味。そしてその無意味による、盤石の安定感」…見事な分析だ。


 今もし存命ならば、どんなコラムを書いたのだろう。マツコや武田砂鉄に少し似たイメージを持ちたいが、目の付け所は違う。もはや限界で「本当の消灯時間だよ」とでも言うかもしれない。けれど相変わらずテレビは夜中も放送を続け、チャンネルは増え続け、再放送も増え続け、ダラリヌラリと床を湿らせている。