すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

プリンのような一冊

2019年05月18日 | 読書
2019読了50
 『漁師の愛人』(森 絵都  文藝春秋)



 そう言えばどこかで聞いたことがあった。「プリン」の正式な名前が「プディング」であると。いわば訛りが通用しているのは、その語の響きの良さかなあと想像する。この本は全5篇中3編が短編であり、そのどれもにプリンが登場し、結構大事なモチーフとして扱われている。初めの作品は、題名にも使われている。


 「少年とプリン」という僅か12ページの物語は鮮烈なイメージが湧いた。小学校6年生の男児と担任女教師のある「対決」をめぐるこの話は、まるで詩のような終わり方をする。それは、「窓の外を渡る風のなかへ」軽やかに解き放たれたプリンの映像。こんなふうに魅せてくれる作品はあまりないなあとため息が出た。


 二篇目の「老人とアイロン」では、父子の口喧嘩と葛藤のきっかけになる、冷蔵庫に入れられたパックの安プリンである。一つとんで四篇目の題名は「ア・ラ・モード」では、まさしくプリン・ア・ラ・モードからプリンが無いという状況が作りだした展開が示される。これは意図的に盛り込んだとしか考えられない。


 つまりはプリンの持つ象徴性を使ったということか。「卵・牛乳・砂糖・香料などを混ぜ、蒸し焼きにして柔らかく固めた洋菓子」(広辞苑)…この万人に好まれるお菓子にある、一種の壊れやすさが浮かぶ。また価格の幅が広い商品であることを考えると、偽物か本物かといった見分けが関わる世の中とも重ねられる。


 短編三つのモチーフ論のようなことを書いてしまったが、他の中編二つ「あの日以降」と表題作「漁師の愛人」、これらも十分読み応えがあった。震災、失業、不倫、因習…その中で人間が喘ぐ姿を追いながら、希望を見失わないための目の付け所が読み取れた気がする。素材のよさに舌が喜ぶプリンのような一冊だった。