すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

サルに伝わる愛情を注ぐ

2019年05月29日 | 読書
 今日はチャレンジデー。企画の一つに幼児対象の「親子運動会」があり、愛孫を撮りたいと出かけていった。動き回り、何でも触りまくる姿は、やはりサルなんだなと想う。


2019読了52
 『私の息子はサルだった』(佐野洋子  新潮社)



 書名からなんとなく内容が想像できそうな本ではある。しかし、対象はわかってもどう向き合い、どう感じ取ったか、それが肝だ。おそらく作家なる者が自分の子どもを取り上げて書く場合には、ずいぶんと個性が出るのではなかろうか。しかもこの本は作者が亡くなってから発見された原稿をもとに発刊されている。


 『100万回生きたねこ』の作者によるこの話は、モチーフが息子であり、その当人が「あとがきのかわり」と題した文章を寄せている。彼は幼い頃から自分のことを書かれ続けたので不平を言ったら、それ以降登場しなくなり、その頃に書き留めたのではないかと記していた。その評価に「サル」であった片鱗をみる。


 「すべての行にうっすらと大袈裟と嘘が見え隠れする」としながらも「彼女の中では全て真実なのかも知れない」と思い始める。親と子が過去をそんなふうに見ることは当たり前かもしれないが、この本にある躍動的な姿とそれを見つめる心の動きを読み通した後だと、読み手自身も「ケン」の成長を讃えたくなる。


 「愛する者」という締めの文章は感動的だ。子を持つ者の心底を曝け出した「私はうたがいもなく子供を愛しているが、その愛が充分で、適切であるかどうか、うろたえる」という一文に、全ての大人はしばし立ち尽くしていいように思う。サルは比喩には違いないが「サルに伝わる愛情」を注げたかが問われているのだ。