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憧れだけが残って

2019年05月28日 | 読書
 「遊び」という語を広辞苑で引くと八つの意味が載っている。このエッセイ集に書かれてある中身の多くは「③遊興。特に酒色や賭博をいう」に該当するが、「作家」であると考えれば「⑥(文学・芸術の理念として)人生から遊離した美の世界を求めること」になるか。読者によって受け止め方の差はきっと大きい。


2019読了51
 『作家の遊び方』(伊集院静  双葉文庫)



 伊集院ファンなら、このタイトルだけで競輪、麻雀そして酒のことが書かれてあると予想できる。もちろん、なかには絵画や彫刻、作詞から音楽のことなども触れられているが、大雑把に言えば、やはり無頼漢の物語である。そこに魅力を感ずるか否か。読む人の生き様が反映してくるだろう。いや生き様より本能か。


 「私の胸の隅には、働くことと対局にあるものが存在しているからこそ、人間は生きながらえて来たという考えが今も消えずにある」と筆者はあとがきに記す。その考えと個の生き方を照らし合わせた時、生業以外に何かを持つ意味の深淵にふれ、こんな自問が湧いてくる。「何のために毎日を生きていますか、貴方は


 自分がしている「遊び」などは気晴らしに過ぎないし、単なる娯楽と呼んでいい範囲だ。それとはまた一段も数段も違うレベルで遊んでいる人がいる。それは、いわば人生を賭けているような時間を連続させている。そうなると、歴史的な大発見、偉業を成し遂げている人たちと、ほとんど変わらないのかもしれない。


 人間をホモサピエンスという学名だけでなく、「ホモルーデンス」(遊ぶ人)と呼ぶ考え方を知ったのは高校の倫理の時間だった。結構、衝撃的ではあったがその具現化を目指すまではいかなかったなあ。この文庫を読んでも、似たような「遊び」は到底できない。作家にはそれも糧の一つになる。結局、憧れだけが残る。