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PRは実現させること

2019年05月15日 | 雑記帳
 ふだん何気なく使っている言葉でも、何かの折に改めてその意味に触れて考えさせられることが多い。最近、読んだ仕事関係の本では「PR」がそうだった。いつ頃から一般化したか知らないが、ごく普通に小学生でも使う言葉である。当初は企業とかの使用語彙ではなかったか。今は「自己PR」と誰しもが口にする。


 PRを広辞苑で引くと「public relations 企業体または官庁などが、その活動や商品などを広く知らせ、多くの人の理解を高めるために行う宣伝広告活動」とある。publicつまり公、公的なということ、relationは関係が普通だから、合わせると、公との関係を築くといった意味で宣伝広告と結びついたと予想される。


 ただ、その本には「PRの正しい理解」と題されて、本来の意味で使わなければならないと強調されている。曰く「一方的な宣伝や世論操作(プロパガンダ)ではなく、コミュニティ構成員の間に理解と共感を広め、参加と協力を促すために、双方向性を重視して行われる」…この双方向性が大きなポイントではないか。


 様々な場で自己PRが展開される。当blogもその範疇になるだろう。しかし本来の意味にはほど遠い。ただ怖ろしく乏しい双方向性なので逆に割り切っても考えられる。Twitter、FB等他のメディアにしても基本は同じではないか。PRは自己開示の姿勢を保ち続け、広く周囲の声に耳目を傾け、考えることで実現する。