すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「んー」と保留する本

2019年05月30日 | 読書
 背表紙の題を見て手に取ったはいいが、内容は結構遠い所にあって「頭」はそこまで伸びなかったという事は珍しくない。下掲の二つも新書とは言いながら、一定の知識がないとするりと入ってはこない。関心はあっても理解度が今一つだった。関連本を読んで、もし何かつながることがあれば…そういう読み方もある。


2019読了53
 『なぜ、世界は”右傾化”するのか?』(池上彰+増田ユリヤ ポプラ新書)


 一昨年6月に発刊されている。その前年に米国大統領選が意外な結果となり、イギリスのEU離脱問題、そして難民・移民受け入れをめぐる混乱が起きていた頃だ。ちょうどその時初めてヨーロッパに旅行した。一定の情報は知りつつ、実際それに関わる事態を目の当たりにすることはなかった。今、その裏を想像する。


 平穏に見えていても、一歩内部に入れば宗教や経済によって分断されている社会が存在している。書名の問いに対する答えの文は明記されていないが、この二人が読者に問いかけたいのは、説明+ルポという形式によって明らかだ。「自分の中にでき上がった枠組みに事実をあてはめるようなことはしない」。心したい。



2019読了54
 『ん 日本語最後の謎に挑む』(山口謠司  新潮新書)



 地下鉄の駅名「日本橋」の看板が「Nihombashi」となっているらしい。nではなくm。これを単なる発音と表記の違いによる現在の「乱れ」ではなく、長い歴史と文化の問題として捉えた一冊だ。そもそも日本には「ん」がなかった、「ん」は下品、捨てて書く…今まで考えたこともない。思わず「んー」と言ってしまう。


 我々がよく使う「んー」を著者の妻(フランス人)は嫌がる。友だちのフランス人たちもその声に悪い印象を持つことが興味深かった。歴史的な解明を続けて、著者が出した結論が面白い。「んー」と声にならない声はイエスでもノーでもない「保留」。それは「『清』と『濁』を繋ぐ役割をしている」。実に日本人らしい。