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自学が目指す姿を見失わない

2019年05月03日 | 教育ノート
 令和初日の夜にBS1で放送された『ボクの自学ノート~7年間の小さな大冒険』を観た。「自学ノート」という語に反応するのは、自分なりの思いがあるからだが、その捉え方や形態が違っても「自学」が目指す姿は一緒であるはずだ。ただ学校教育は真の意味で、そういう姿を志向しているのか考えさせられる番組だった。


 番組はリリーフランキーや最相葉月といった有名人からの賞賛で始まる。そして、彼の続けてきた「自学ノート」、それは新聞等資料を貼り付け、そこに感想や考えを書き込んでいく形であり、そのノートが何冊も並べられている自室での語りを中心に、母親や周囲の関わりがあった人たちの声によって構成されていた。


 子どもノンフィクション大賞を受賞したとなれば、普通は脚光を浴びていいはずだ。番組に取り上げられること自体華やかなのだが、登場した元同級生の子は、周囲は知らないのではないかと漏らす。彼は、放課後一目散に自宅へ帰り、新聞やノートに向かう小・中学校生活を過ごした。絶縁によって築かれた世界だ。


 彼がそうした過去を振り返るシーンは少し切なかった。そして母親が自分の子の育ちについて、主として学校との関わりを述べたときに流した涙は、「個性重視」がいつも建前に終わる現場の無力さを示している。彼を支えたのは、その現実を呑み込んだ家族であり、彼独特の行動力に共振した周囲の人々の声だった。


 教師なら、彼の部屋を目にすればその資質をおおよそ予測できる。そして仮に担任ならば、番組で実際に教師が語ったという「効率的にやることが社会では求められる」とのすり合わせが可能かどうか悩むだろう。現実的対応の選択肢は多くないが、せめて個の「自学」が消失しない姿を探す決意だけは離せない。