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「あざなう」人を悼む

2019年05月25日 | 雑記帳
 本物の教師は、教室の後ろから参観してもその授業を評価できる。これは現在の学習形態にそぐわない言辞だろうが、一斉授業形態の多かった頃の教員にとってはたどり着きたい高みでもあった。厳しい研究肌の大先輩が「それを出来るのは、ここらで田口恭雄だけ」と呟くの耳にし、それを追いかけた時代があった。

 
 我が町に、他には見られない教職員と行政による研究協議会組織がある。それは田口先生らが戦後教育の中で模索し作りあげた会だった。私も深く関わりを持ったが、時代の推移につれその熱量が下がっていくことを感じ得なかったし、当事者として責任も感じる。毎年発行される紀要は「あざなう」と名づけられている。


 それは先生が退職後、第30集を迎えたときに依頼され、命名された。巻頭に添えられる一篇の詩がある。

研究とは
あざなえる縄のようなもの
たなごころを
すりあわせるいのりの所作
そこに生える
創造の所産
青い花のかぜが
羽後の峠にふいている


 縄をより合わせていくように、あざなったのは慣用句にある「禍福」かもしれない。「苦楽」と言い換えてもいいだろう。そうした日々の営みから創造が生まれ、研究につながっていく。我々のあざなう力は健在か、その所作は美しいか。



 偶然にも教職を退いた後に田口先生が長く務められた町立図書館の仕事に就くことになった。一つの巡り合わせと信じて、「創造の所産」の芽生えに力を尽くしたい。「青い花」は何のイメージか確かではないが、今、羽後の峠は胡桃や藤の花の彩りで一杯になっている。吹きわたる風は、先生の微笑みのように優しい。

 合掌