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教科用図書は衆知の塊

2019年05月26日 | 雑記帳
 仕事上の参考にしたいと思って、小学校1年から中学3年までの国語教科書を通覧する機会があった。学校現場から離れて三年しか経っていないのに、妙に新鮮だ。といっても、実際そんな形で見渡すことなど研究会準備や教科書検定に関わる時以外なかったのだから、結局自らの不真面目さを今さら知ることになる。


 それはさておき、自分が馴染んでいたのは、やはり10年以上の版だったなと改めて時代遅れの感覚にとらわれる。もちろん、定番教材と言われる物語や小説も数多く残っているけれど、おっそうかと目につくページも多い。低学年に俳句・短歌が登場するなど、いわゆる「伝統的な言語文化」がずいぶんと浸透した。


 いらないお世話と言われるのを承知で、どんな授業が展開しているのか想像したくなる。もちろん音読が中心には違いないが、そればかりじゃないはずと思わず口を出したくなるのは老害(笑)だな。下手に意味を教えようとする色気が出てくるから、逆に音読・素読・暗唱等を徹底できなくなる…。とにかく読むべし。


 学習の仕方や用語、発想法といった面が資料として豊富になっている。学習用語は現役時代にずいぶん力を入れてきたことだし、微々たる歩みとはいえ一定程度位置づけられたことは嬉しい。話合いや発表形態の多様化、図解、図示なども教科書に載る以前から取り組んだ経験があるので、なんとなく懐かしく思える。


 あっこれっと目を見張ったのは数人で話をリレー形式でつなぐ活動例だ。これは四半世紀前、低学年担任時に開発した題材にそっくりだ。自慢めく独言は読み流してもらうことにしても、国語教科書は実に面白い。このテキストをしっかりやれば絶対力はつく(はずだ)。教科用図書は、衆知の塊の一つだと改めて思う。