すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

納豆の比喩を信じよ(笑)

2019年07月10日 | 雑記帳
 移動中につけていたカーラジオから「納豆」の話題が聞こえてきた。今日7月10日が語呂合わせで「納豆の日」らしい。納豆は好き嫌いのことや何を味付けにするかなど、どこでも話題になりやすい食品だ。ラジオでは、かき回さずに一粒一粒味わうという食べ方をする人がいて驚いたが、それもありかとふと思う。


 朝食にご飯を食べなくなって久しいので、ぐっと消費量が落ちている。その栄養価については喧伝されていて、時々思い出したように夕食に並んだりするが、やはり白米と一緒でないと習慣化とまではいかないようだ。たまにスーパーなどに陳列されているのを見ると、その種類の多さにやはりこれも国民食と納得する。


 昔、我が実家でも手作りをしていた。わらに包んだそれを「ちちこなっとう」と呼んでいた。各家々のわらの中にある納豆菌で発酵させたのだ。それから徐々に市販の三角納豆になった。今のようにプラ容器全盛になってずいぶんと経つが、種類は増えてもやはり納豆は納豆という味は揺らいでいない。偉いもんだなあ。


「なっとう」の「」の漢字が気になったことがあった。語源を調べると「寺の『納所』(金銭や米の出納を行うところ)でつくられたからか。」とある。私たちがふだん食べている糸引き納豆とは別に、大徳寺納豆など「寺納豆」も由緒あるものだし背負っている歴史も深い。調味料ばかりでなく、組み合わせも自在だ。


 こう書いてくると、「納豆のように」という比喩はあまりお目にかからないが、使ってもよくないか。「ねばり強さ」「他との相性もよいし自ら主張もする」「自然食としての手作り感がある」など、実に多様である。ただし「臭い」と言われればそれまでか。しかし、発酵とは臭気が放たれるに決まっている。力を信じよ