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「正の字」が教える正しさ

2019年07月11日 | 雑記帳
 何年ぶりにこんな集計作業をしたかなと思いつつ、アンケート結果を「正の字」に表していった。今どきこんな手作業でなくともエクセルや関連ソフトに詳しければ、簡単にできるのだろう。画面で操作を覚えるよりも、手を動かした方がと自分なりの言い訳を考える。ともあれ、1000人を超したデータ集計は終わった。


 ところで「正の字」集計。我々にとっては学級委員の選挙シーンなどを思い出す懐かしい感覚だ。5画なのでカウントしやすいことは誰でもわかる。外国にも様々あり、星のマークを書く方式、斜め線4本に横線を通す欧米式、四角マスに対角線の南米式などが挙げられる。いずれも5画。画線法と名づけられている。


 日本では昔は「玉」だった。金銭、そろばんなどからの連想か。なぜ廃れたかというと、最後の「、」が汚れで勘違いされたり、意図的に誤魔化されたりするおそれがあるかららしい。そう思うと「正の字」は直線のみで理に適っている。集計計算では5でなくともパッと数字が頭に入ってくることに、今さら感心する。


 総数がきちんとあっているかを計算するとき電卓も使ったが、暗算でやるように努めてみた。数を足していって1の位があっていれば確実だろうという見通しを持っている。最終的なチェックはするにしても、頭の中で行うアバウトな作業はいつも大事だ。大雑把に見たり、部分のみ見たり、自在に切り替えられる。


 自由記述もスキャンなどせずに、ちゃんと打ち込む。千差万別の内容になるが、その一瞬だけは一人一人の書き手と向き合える。手を止めてふと考えさせられる記述もあり、それもまたいい時間だ。選択肢につけられたマルの形一つとっても、こちらが汲み取ろうとすれば、なんとなく気持ちや心は伝わってくるものだ。