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過疎が過密でなれの果て

2019年07月06日 | 読書
 最初、ナルホドと思いながら新聞記事を読んだ。「『過疎』表現変えます」という見出しで総務省の有識者懇談会が、用語の検討に入ったとある。昭和40年代から一般的に使われるようになったとあるし、公的な文書を書いてきた経験からいうとなじみ深い語だ。しかしよく考えると、侮蔑的表現と言われかねない。


 ごく普通に辞書で調べると「まばらすぎること。ある地域の人口などが少なすぎること。」とある。ただ人以外の何かについて「過疎だな」とは普通言わない。「疎」とはもともとどういう意味なのか。たしかに「まばら・あらい」は出るが、他にも「うとい」「注意のゆきとどかない」という項目もある。そこに「」か。


 人がいなければ自ずと注意力にも欠ける面が出るとでも言いたいのか!と、まあ、そんな悪意はないだろう。高度成長末期にこの語が出たとすれば、都会と地方の人口動態に注目させる熟語として適当だったのだろう。名づけたものの明快な打開策が出ないことを嘲笑うように、過疎と過密は日ごとに勢いを増した。


 そんな経緯を頭に置いて再び『イナカ川柳』(TV Bros編集部)を見直すと、さらに面白い。過疎を食い止めよう、地方に活気を、なんとか人を集めようと苦労した結果の「なれの果て」を詠んだ句が胸に沁みる。


 「あぁこれは テーマパークと いう野原」

 「ゆるキャラを 3体燃やした 焼却炉」

 「ひらがなの 変な名前で 再出発」

 「傷跡が 残っただけの 町おこし」


 
 過疎という現象そのものが過密(笑)になりすぎたので、表現としてふさわしくないという面もあるのか。穿った見方ではあるけれど…。さて、選挙運動期間中なので、その絡みの二句と、かなりぶち切れ気味の本音の一句で締めよう。


 「選挙カー 畑でむなしく ビックエコー」

 「里帰り 訛ってみせる 議員さん」


 「これ以上 何がんばるの? この過疎で!」