すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

ハイハイ俳句のころ

2019年07月19日 | 教育ノート
 今回、4年生の俳句づくり授業の依頼があったとき、関連本を読んで「取り合わせ」を教材化したいと思ったので、今までの自分の実践は振り返らなかった。ただ、直前になって開いた昔の個人集約冊子に「ハイハイ俳句」という数ページがあり、懐かしく読み込んでしまった。六年生を対象になっなんと5時間扱いだ。


 それも3月の5~12日の日付。当時は担任外だったから、学級担任の意図なのか余裕なのか(笑)卒業式直前の実践だ。21年前、国語の教科書には高学年にしか俳句・短歌は取り上げられていなかったと思う。俳句のクイズ的なことから始まり、段階的な句作をして、最後は句会という結構まとまった展開になっている。


 まず「ハイハイ俳句」という単元名がいい(自画自賛だ)。こんなふうに書いている。「ハイハイと名づけたのは、赤ちゃんが這うような初歩的というイメージから、そしてさらに『High』へ向かえればいいなあ」。短詩型の楽しさを味わわせるため、名作俳句だけでなく児童作品も、黛まどかの作品まで登場させている。


 句会方式も今でこそやる人は多いが、当時は稀だったと思う。習作的なことで取り組んだ「物語俳句」も、句会で取り上げた。新美南吉の『手ぶくろを買いに』を読み、そこから五七五をひねり出す。今読んでもなかなかいいと感じる作品もある。「冬の道母が恋しく走りだす」「かじかむ手やさしくつつむ母のいき


 わずか5ページだが「句集」と名づけ、まとめとして配布した。六年間の思い出をたどって、十七音に仕上げた。例えば(1年春・入学式)とあり「ランドセル胸をはれよと背中おす」、(5年夏・保呂羽山)では「ちょうちんのゆれる炎で道を行く」など。Highに少しは向かえたか。ちなみに我が長女のクラスだった。