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四角にできない人間の独白

2019年07月26日 | 教育ノート
『生物学的文明論』(本川達雄 新潮新書)を読んだ後にふと思い出したこと。

 著者が記した「巷に四角がのさばり過ぎている気がします」とまったく同じ感覚を抱いたことがあったと思い出した。
 あれは十数年前、ある実践家の研究授業を参観にいったとき、歯痛に悩まされた夜、そして親しい方の突然の訃報に驚いた朝。こんなやるせない文章を残していたことだ。


 「箱だらけの人生」・・ 06/06/2005・・

 久しぶりに出向いた東京で、泊ったホテルの3階レストランはJR板橋駅のホームに面していた。

 ホームへ数分おきにすべりこむ電車、その中にすきまなく詰め込まれている人間一人ひとりの視線は、それぞれがばらばらの向きをしていて…

 繰り返されるこの風景を眺めていると、暮らしって箱だらけだよなあと思う。

 立ち並ぶ高層マンションやアパート群、その箱へ帰っていく人もいるし、そこで目覚め、そこで食べ、そこで眠る。

 小さな箱へ向かってしゃべり続ける人、箱に映る画面に一心不乱の人、箱を介して誰かとつながっているような気持ちになる。


 どうしてまあこんなに四角張ったものが好きなんだろうと、つい思ってしまう。
 身体も、心もきっちり四角にできない人間が、作り出した最高の形なんだろうか。


 翌朝、そんな都会の駅で知人の訃報が、小さな箱の中から聞こえてきた。

 ぼんやりと箱に乗って、箱の並ぶ風景を見ていたら、そうか、あの無頼な人も最後は箱か、と泣きたい気持ちになってきた。

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