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読書なんぞにストレスを

2019年07月03日 | 雑記帳
 これも「平和の代償」なのかなとちょっと頭をよぎった。ある調査をしていたら、こんな声が書かれてあった。「読書、読書と言われることにストレスを覚えます。」その方は、読書が良いことは十分に分かるが…と記した後で、そんなふうに文章を締めくくった。紛れもない本音であろう。なんとなくわかる気がする。


 戦時下であれば、本を読むことなど二の次で、多くの人が身の安全と腹の足しになるものを求めていた。もちろん書籍の絶対数が少ないのだから、手に入れることさえ難儀する時代には、本というだけで価値があり、活字を求める心が満たされないストレスはあっても、押し付けられるような気持ちは皆無だったろう。


 数えきれないほど本が出版され、様々なサービスも展開され、読書の障害になることなど全くないと言っていいのに、実は自らの心が壁を作っている。ご馳走を前に食べる前に満腹感を覚えてしまうようなものか。食べ物なら食べなくては腹がすくけれど、本ならば別の何かで代替できるようで、渇望感は起きない。


 今、読書に限らず、良いことのリストがあまりに増えすぎて、人々を圧迫している。最近の、特に幼い子の亡くなるような悲惨な事件について、罪を犯した者へ同情はしないが、責任は100%個だけにあるとも思われない。出自や周囲の環境、経済など複合的に絡みあうなかに、善意を纏った悪意は存在しなかったか。


 「良いことだから…」「将来役立つ…」と、多くがこぞって疑いなしに進めていく事柄に対して、異を唱えるのは難しい。抵抗するには骨が折れる。気に入らない推進事項には「柳に風」を決め込むのが得策だ。読書なんぞにストレスを感じないでほしい。好きな本を好きなように読む自由は保障されているのだから。