雑誌広告で、この新書の題名と著者を見たとき、おおなんと!と思った。
『世界の中心でAIをさけぶ』(片山恭一)。
座布団3枚ぐらいやりたい気分である。
・・・の中心で、と来たら「アイ」と言いたくなるが、今なら「エーアイ」と言わなくちゃならないと、つまずきそうになる。
そのひっかかりと、「愛」と「AI」との関係も気になるし…。
Volume.172
「人間のなかにAIによって収奪されない部分はあるだろうか。ぼくはあると思う。一人ひとりの固有性をAIは奪うことができない。それはどのようなものか。たとえば『好き』がそうである。」
つまり、愛はAIを超えるといいたいのか。
しかし、そう簡単か。
私たちは今、数えきれないほど「好き」の誘導に晒されている。
片山は「ぼくたちが誰かと出会い、恋に落ちることを解読するアルゴリズムは存在しえない」とも書くが、厳密にはそうだとしても、メディアはいかにもそうだと思わせられる情報を、まるで攻撃でもするかのように目の前に登場させてくる。
人であれ、物であれ、事であれ、その関係性に深く介入してくる。
そしてそれらは、徐々にAIによって操作された内容となりつつある。
どう防ぐかを真剣に練っておかなければ…。
固有性を守るとは、自分の愛を守ることだ。
外からの情報遮断、制限抜きにこの命題は達成できない。
こんなに力んで書き込んでいることを自嘲しながらも、あの映画のワンシーンを思い出す。
決定的な場では、人前で思い切り叫ぶほどの覚悟が、愛を守るためには必要だと肝に銘じておきたい。
『世界の中心でAIをさけぶ』(片山恭一)。
座布団3枚ぐらいやりたい気分である。
・・・の中心で、と来たら「アイ」と言いたくなるが、今なら「エーアイ」と言わなくちゃならないと、つまずきそうになる。
そのひっかかりと、「愛」と「AI」との関係も気になるし…。
Volume.172
「人間のなかにAIによって収奪されない部分はあるだろうか。ぼくはあると思う。一人ひとりの固有性をAIは奪うことができない。それはどのようなものか。たとえば『好き』がそうである。」
つまり、愛はAIを超えるといいたいのか。
しかし、そう簡単か。
私たちは今、数えきれないほど「好き」の誘導に晒されている。
片山は「ぼくたちが誰かと出会い、恋に落ちることを解読するアルゴリズムは存在しえない」とも書くが、厳密にはそうだとしても、メディアはいかにもそうだと思わせられる情報を、まるで攻撃でもするかのように目の前に登場させてくる。
人であれ、物であれ、事であれ、その関係性に深く介入してくる。
そしてそれらは、徐々にAIによって操作された内容となりつつある。
どう防ぐかを真剣に練っておかなければ…。
固有性を守るとは、自分の愛を守ることだ。
外からの情報遮断、制限抜きにこの命題は達成できない。
こんなに力んで書き込んでいることを自嘲しながらも、あの映画のワンシーンを思い出す。
決定的な場では、人前で思い切り叫ぶほどの覚悟が、愛を守るためには必要だと肝に銘じておきたい。